平壌
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歴史
古くは衛氏朝鮮の王険城で、紀元前108年にこれを征服した漢の武帝が楽浪郡治を置いた。これ以後4世紀後半に百済が領有するまで中国人による現地支配の拠点となる。
高句麗の長寿王は427年に鴨緑江流域の集安から平壌に遷都し、高句麗王国の都となった。当初は現在の平壌市街から北東へ8kmほど離れたところにある大城山に都があり、現在も山をとりまく城壁や、王宮であった安鶴宮の跡などが残る。552年から586年にかけて、現在の平壌市街の場所に都城が築かれ大都市となったが、668年に唐に滅ぼされた。唐は平壌を含む南満州から半島北部を管轄する安東都護府を設置して当該地方の直接支配を図るが、新羅の反乱によって遼東より南を失った。
10世紀に興った高麗は首都を開京(現在の開城特別市)に定める一方、平壌を副都・西京とした。12世紀には妙清という国粋主義的な仏教僧が西京への遷都を主張し、西京遷都運動という仏教対儒教の争いが起きた。妙清は、風水説の混合した高麗仏教に基づき、風水的に弱くなったために内乱で破壊された開京から、高句麗の首都であり風水も良い西京に首都を遷し、金に戦いを挑んで高句麗の旧領土(満州)の回復の拠点とすることを掲げたが、事大主義的な儒家の反発で遷都案は葬られ王の支持が得られなかった。1135年、妙清はついに反乱(妙清の乱)を起こして西京を首都として「大為国」を称し、宋の年号を捨てて「天開」という独自の年号を掲げたが、金富軾ら儒家の文官らの率いる軍により翌年鎮圧された。
1269年には西京を治めていた崔坦らが反乱を起こし、西京を含めた北界54城と西海道の慈悲嶺以北の6城を率いて元に帰依する事件が起きた。元は西京を遼陽行省に属する「東寧府」と改名して領土に編入した。東寧府は同じく元領となった双城総管府とともに高麗と分立したが、元の直接支配強化により1290年(至元27年)に東寧府は高麗行省(征東行省)と統合され共に元の直接支配地域となった。東寧府は元末期に再び設置されたという記録もある。
李氏朝鮮時代には平壌は平安道の首邑となった。文禄の役では日本軍が平壌にまで達している。18世紀には、冊封体制下の清との往来の中で、北京にいたキリスト教宣教師からキリスト教が朝鮮の官僚に伝わり、平安道はキリスト教徒が増加した。しかし、18世紀末には大規模なキリスト教徒弾圧が起こった。また外国勢力が朝鮮周囲に現れ、平壌では大同江を遡ってきた米国船を官民が焼き討ちするジェネラル・シャーマン号事件が起こっている。
日清戦争では平壌城は平壌の戦いの舞台となった。李朝末期の1896年に平安道が分割されて、平安南道の首邑となっている。日本統治時代には、1910年(明治43年)に平壌郡は平壌府となり[7]、平安南道の道庁所在地となった。この頃路面電車の軌道などが整備された。1913年(大正2年)に平壌神社が鎮座した。また平壌神学校などキリスト教の神学校や教会が設立され、キリスト教徒の人口に対する割合も増加した平壌は、報道関係者から「東洋のエルサレム」と呼ばれるほどに朝鮮のキリスト教布教の中心地となった[8]。現在の韓国のキリスト教徒には、朝鮮戦争の前後に韓国側へ移住した平壌出身者もいる。1931年(昭和6年)には朝鮮排華事件が起き平壌で最も多くの中国人犠牲者がでた。
1945年(昭和20年)にソビエト連邦軍(赤軍)が北緯38度線以北を占領するとソ連軍政の中心地となり、1946年に行政機関である平壌市人民委員会が設置され、1948年の朝鮮民主主義人民共和国成立により事実上の首都となった。しかし1950年に北朝鮮の韓国侵攻により勃発した朝鮮戦争では、アメリカ軍を中心とする国連軍の激しい空爆を受けた上に、国連軍の占領下になった後は、これに対して朝鮮人民軍や中国人民志願軍による攻撃が行われたことで、市街地は大きく破壊された。
停戦実現後、ソ連の援助で街は急速に復興を始める。朝鮮建築家同盟創設メンバーのひとりで、戦前の日本にて建築学を学んだ経験を持つ金正煕(キム・ジョンヒ)が金日成に登用され、モスクワ建築アカデミー留学後、1951年に「平壌市復旧建設総合計画」をデザインし、1953年に正式採用とされ、巨大なパレードを行える「社会主義国」特有の広場整備や、北朝鮮風のアレンジが加えられたスターリン様式建築(その他、ブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーの影響を大きく受けたとされるモダニズム建築)と言った近代的でプロパガンダ色の濃い計画都市への変貌が始まる。[9]
1968年には平安南道の道庁機能を平城市に移して直轄市となり、1972年に正式に首都となった。1980年代以降、金日成や主体思想を称える記念碑や建築物、競技場やホテルが多数建設された。
- ^ “지역별 면적 (第一級行政区画の面積一覧)”. 韓国統計情報システム (2020年12月28日). 2021年10月4日閲覧。
- ^ “Democratic People's Republic of Korea”. 国際連合. 2021年10月4日閲覧。
- ^ 平壌 - 朝鮮観光 (観光地)
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- ^ “平年値データ ピョンヤン(平壌)”. 気象庁 (2013年4月). 2013年4月2日閲覧。
- ^ “Pyongyang, North Korea Climate Normals 1961-1990”. World Climate Home. 2013年4月1日閲覧。
- ^ 明治43年10月1日朝鮮総督府令第7号による。『朝鮮総督府官報』第29号p. 14(明治43年10月1日)を参照。
- ^ “「東洋のエルサレム」から法王招請”. agora-web.jp. 2019年3月19日閲覧。
- ^ 金聖甫、李信澈『写真と絵で見る北朝鮮現代史』監修:李泳采、韓興鉄訳、コモンズ、東京・新宿(原著2010年12月1日)。ISBN 978-4861870750。2018年4月30日閲覧。
- ^ アン・ヨンヒョン (2011年2月15日). “北朝鮮、平壌市の規模を半分に縮小 食糧事情悪化で「革命の心臓部」の規模を縮小か”. 朝鮮日報オンライン. 朝鮮日報. 2011年2月18日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年4月30日閲覧。
- ^ アン・ヨンヒョン; ユン・イルゴン (2011年2月25日). “北朝鮮が平壌市の規模を半分にしたワケ 特別待遇を続けるのが困難に”. 朝鮮日報オンライン. 朝鮮日報. 2011年2月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年4月30日閲覧。
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- ^ “평양시 역사” [平壌市の歴史] (朝鮮語). 북한지역정보넷(北朝鮮地域情報ネット). 平和問題研究所(평화문제연구소). 2017年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月30日閲覧。
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- ^ “世界のサッカースタジアムランキング(サッカー専用・兼用30000人以上の481競技場)”. fifaworldranking.com. 'J calcio'. 2018年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月30日閲覧。
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- ^ 朝鮮新報2017年7月31日号〈D.P.R.K〜暮らしの今 1〉平壌市民の通勤風景
- ^ Corfield, Justin (2013). “Sister Cities”. Historical Dictionary of Pyongyang. London: Anthem Press. p. 196. ISBN 978-0-85728-234-7
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