天と地と 山本勘助について

天と地と

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/18 02:30 UTC 版)

山本勘助について

本作には信玄の名軍師として知られる山本勘助が登場しない。これは明治期より歴史学に導入された実証主義の手法によって勘助の主要な活躍が記された『甲陽軍鑑』の史料的価値が疑われ、勘助の存在にも疑念が持たれるようになったためである。海音寺はこうした勘助が実在しなかったとする学説、もしくは作戦に参加する資格のない低い分限の者であったとする説を支持し、本作において勘助を登場させなかった[2]

なお、山本勘助については、1969年大河ドラマ版の放送中に発見された市河家文書や、2008年に発見された真下家所蔵文書により、実在の人物であるという説が有力になっている(詳細は山本勘助の項目を参照)。

書誌情報

単行本
文庫本

映画

天と地と
監督 角川春樹
脚本 鎌田敏夫
吉原勲
角川春樹
製作 角川春樹
大橋渡
製作総指揮 角川春樹
出演者 榎木孝明
津川雅彦
浅野温子
音楽 小室哲哉
主題歌 小室哲哉「天と地と〜HEAVEN AND EARTH〜
撮影 前田米造
編集 鈴木晄
製作会社 角川春樹事務所
配給 東映
公開 1990年6月23日
上映時間 劇場公開版 118分
特別版 156分
海外版 104分
製作国 日本
言語 日本語
興行収入 92億円
配給収入 50億5000万円[3]
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1990年に公開された(旧)角川春樹事務所製作の、いわゆる角川映画。製作費は50億円[4]。総製作費は55億円とされる[5]

製作

プロデューサーの角川春樹は、角川映画15周年を記念した大作として企画し、映画『影武者』や『敦煌』を越えるべく、『復活の日』以上の資金を集めるために製作委員会方式を採用した。合計48社から1億円ずつの出資を募り、ほとんどの会社を角川が直接出向いて資金を集めた。角川は後に「バブルが弾ける前だったから集まった。あと1、2年遅かったら映画はできなかった」と語っている。角川は海外進出も見据えた文字通りの「大作」とするべく、和洋折衷だった『復活の日』や敵味方の区別が不明瞭だった『敦煌』が海外展開に失敗したこと踏まえ、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『イノセント』を参考に、キャッチコピーの「この夏、赤と黒のエクスタシー」の通り、上杉軍を黒一色、武田軍を赤一色に統一し川中島の合戦を描くアイデアを公開前から注目させた。そして自らが監督を務め、巨額の制作費を投入した[6]

上杉謙信役には1987年の大河ドラマ『独眼竜政宗』でブレイクし、当時最も期待されていた若手男優渡辺謙を抜擢した。角川は渡辺の役作りのため、撮影の1年半前から、謙信の毘沙門天への信仰や人生観、自然観を渡辺に教育させ、一緒に毘沙門天を祀る信貴山朝護孫子寺への参籠も行った[7]

謙信と信玄の人間ドラマを全て描くと7時間超の上映時間になると判断した角川は、人間ドラマを捨て、プロモーションビデオ風の作品作りを心掛けた。そのため、役者は芝居に対し、一切怒鳴らず、日常語で平坦に台詞を喋る演出が行われた。また、映画『僕らの七日間戦争』で付き合いのあった小室哲哉に映画音楽を依頼し、エンディングタイトルの劇伴は、シンセサイザー奏者の宮下富実夫の演奏に真言読経を被せるなど、斬新な時代劇を目指した[8]

合戦シーンは、実際の川中島が自身の構想の舞台として狭すぎると判断し、旧満州国があった中華人民共和国の東北地方をロケ地の候補とするが、使用できる馬が小さく騎馬戦に不向きなこと、『敦煌』の撮影後に機材が中国当局に日中友好の名目で接収され、製作費も甚だしく中間搾取された情報を知り、『復活の日』の海外ロケで土地勘のあったカナダカルガリーで大規模ロケを行うことにした。カルガリーの高原は牧畜が盛んでカウボーイが多く、馬が集め易かった。1989年、500頭馬と3000人のエキストラを集め、1日8000万円、総額25億円をかけて、映画『ワーテルロー』を参考にした合戦ロケが行われた。しかし、カルガリーのロケ中に渡辺が急性骨髄性白血病に倒れ降板、角川が代役にと望んだという松田優作も、既に膀胱癌と闘病中で、角川が直電した依頼も、「エキストラの騎馬隊の1人なら」と断り[9]、名目上はドラマ『華麗なる追跡 THE CHASER』のスケジュールの都合を理由に起用は断念された[10]。そのため、緊急オーディションで榎木孝明を代役に立て、何とか撮影続行・公開に漕ぎつけた[注 2]

批評

作品の評価は、当時、カンヌ映画祭の選考委員だったマックス・テシェが「野心的ではあるが、ドラマが弱い」と指摘するなど、人物描写が希薄で、意味不明なシーンが多いなどの批判があった。一方で、クライマックスの川中島の戦いのシーンでの、全く合成を使わず何万ものエキストラが縦横無尽に動く迫力ある映像を評価するというものもあった[11]。当時から「せめて渡辺が謙信を演じていれば…」という声はあった[12]2007年日本アカデミー賞で渡辺が最優秀主演男優賞を獲得した際、この作品を降板したことの無念とその後の苦労に言及した。

興行

配給は当初東宝予定だったが、配給歩率を巡り商談が決裂[13][14]。角川が東映社長の岡田茂に依頼し、東映洋画部に代わった[15][16]。角川と東映は一度決裂しており、東宝も角川がまさか東映に話を持ち込むとは考えず、強気の契約に出たのが裏目に出た[15]。配給歩率は角川85、東映15である[14]。角川は岡田に「前売り券を500万枚売る。そのうち、東映で100万枚引き受けてくれ」と要求したという[16]。製作費50億円のうち、宣伝費に角川側が15億円、東映が7億円を負担した[17]。単純計算で前売り券だけで配収25億円となる[17]。配給が東映に代わったことで、東宝の1990年夏の上映ラインナップに穴が空くこととなり、東宝がフジテレビジョンに相談して、急遽代替の企画として『タスマニア物語』を完成させ、大ヒットさせた。

バブル景気の頃に企業から出資を受けて、企業の団体動員に支えられた前売り券映画と呼ばれる映画が数多く作られたが、30社以上の出資を受けた本作は、大映の『敦煌』と並んで前売り券映画の代表作と言われる[18][19][20][21]。しかし、400万枚もの前売り券が企業にバラまかれた結果、配給収入で50億円を突破して数字の上では大ヒットでありながら、前売り券が金券ショップで叩き売られて劇場は閑散としていたという[22]。関連企業を通じて売った前売り券の総数は477万枚[23]または約530万枚[24][25]ともされる。尚、ビデオ販売による二次使用やテレビ放映による三次使用を含めば、投資金額は十分回収されている[26]

その他

劇中で上杉謙信役の榎木が使用した甲冑は、2007年の大河ドラマ『風林火山』で同役を演じたGacktが自身の曲「RETURNER 〜闇の終焉〜」のミュージック・ビデオの中で着用している[27]

角川は撮影終了後も、急病降板した渡辺のために祈祷を続け、回復した渡辺に後日、その逸話を語ったところ、「知っていました。毘沙門天が病室に飛んでいるのが見えました」と答えられ、とても驚いたという[28]

キャスト

スタッフ

テレビ放送

放送日 放送時間(JST 放送局 放送枠 出典
1991年10月9日 水曜21:00 - 23:24 TBS 水曜ロードショー [29]

注釈

  1. ^ この項では便宜的に後世最も知られた「謙信」の名を用いているが、謙信が出家して法号を名乗るのは1570年以降である。本作で扱われるのは1561年の第四次川中島の戦いまでであるため、作中には「謙信」の名は登場しない。また、足利義輝から偏諱された「上杉輝虎」の名も登場しない。
  2. ^ 既に撮影済みだった渡辺の出演場面の一部に関しては、逆光で顔の判別がつきにくいためそのまま本編で使用されている。

出典

  1. ^ 「あとがき」より
  2. ^ 文春文庫版 下巻P430
  3. ^ 1990年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  4. ^ 樋口尚文『『砂の器』と『日本沈没』 70年代日本の超大作映画』(筑摩書房、2004年)ISBN 4-480-87343-0 p231
  5. ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P216
  6. ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P216~217
  7. ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P221
  8. ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P219~221
  9. ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P221~222
  10. ^ 『松田優作クロニクル』(キネマ旬報社、1998年)ISBN 4-87376-215-4 p108
  11. ^ 山根貞男『映画はどこへ行くか 日本映画時評'89-'92』(筑摩書房、1993年)ISBN 4-480-87220-5 p74
  12. ^ 『映画はどこへ行くか 日本映画時評'89-'92』 p75
  13. ^ 「映画トピックジャーナル」『キネマ旬報』1989年8月上旬号、160 - 161頁。 
  14. ^ a b 「映画トピックジャーナル」『キネマ旬報』1989年9月上旬号、170 - 171頁。 
  15. ^ a b 「映画トピックジャーナル」『キネマ旬報』1989年8月下旬号、34頁。 
  16. ^ a b 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年、249-250頁
  17. ^ a b 「興行価値」『キネマ旬報』1990年6月下旬号、154 - 155頁。 
  18. ^ 佐野眞一『日本映画は、いま スクリーンの裏側からの証言』(TBSブリタニカ、1996年)ISBN 4-484-96201-2 p222
  19. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史1946-1996』(キネマ旬報社、1997年)p324
  20. ^ 『映画はどこへ行くか 日本映画時評'89-'92』 p74、p85
  21. ^ 大高宏雄『日本映画逆転のシナリオ』(WAVE出版、2000年)ISBN 4-87290-073-1 p202
  22. ^ 『『砂の器』と『日本沈没』 70年代日本の超大作映画』 p231
  23. ^ 読売新聞』1990年8月13日付東京朝刊、11頁。
  24. ^ 朝日新聞』1990年7月2日付夕刊、13頁。
  25. ^ 朝日新聞』1990年12月5日付夕刊、9頁。
  26. ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P223
  27. ^ GACKT「RETURNER 〜闇の終焉〜」 - YouTube
  28. ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P222
  29. ^ 毎日新聞 縮刷版』毎日新聞社、1991年10月9日。 ラジオ・テレビ欄
  30. ^ *番組エピソード 大河ドラマ『天と地と』-NHKアーカイブス
  31. ^ [1]音楽スタッフの制作コメントより


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