天と人として踏むべき道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 01:33 UTC 版)
「南洲翁遺訓」の記事における「天と人として踏むべき道」の解説
一九 古より君臣共に己れを足れりとする世に、治功(ちこう)の上りたるはあらず。自分を足れりとせざるより、下下の言も聴き入るるもの也。己れを足れりとすれば、人己れの非を言へば忽(たちま)ち怒るゆゑ、賢人君子は之を助けぬなり。 二一 道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己(こつき)を以て終始せよ。己れに克(か)つの極功(きよくごう)は「毋意毋必毋固毋我(いなしひつなしこなしがなし)」と云へり。総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能(よ)く古今の人物を見よ。事業を創起する人其の事大抵十に七八迄は能く成し得れども、残り二つを終り迄成し得る人の希(ま)れなるは、始は能く己れを慎み事をも敬する故、功も立ち名も顕(あら)はるるなり。功立ち名顕はるるに随ひ、いつしか自ら愛する心起り、恐懼(きようく)戒慎の意弛(ゆる)み、驕矜(きようきよう)の気漸(ようや)く長じ、其の成し得たる事業を負(たの)み、苟(いやしく)も我が事を仕遂(とげ)んとてまづき仕事に陥いり、終(つい)に敗るるものにて、皆な自ら招く也。故に己れに克ちて、睹(み)ず聞かざる所に戒慎するもの也。 二二 己に克つに、事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼(かね)て気象(きしよう)を以て克ち居れよと也。 二三 学に志す者、規模を宏大にせずばある可からず。去りとて唯ここにのみ偏倚(へんい)すれば、或は身を修するに疎(おろそか)に成り行くゆゑ、終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思へよと、古語を書て授けらる。 恢宏其志気者。人之患。莫大乎自私自吝。安於卑俗。而不以古人自期。 古人を期するの意を請問(せいもん)せしに、尭舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。 二四 道は天地自然の物にして、人は之れを行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。 二五 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。 二六 己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐(ほこ)り驕謾(きようまん)の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。 二七 過ちを改むるに、自ら過つたとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其の事をば棄て顧みず、直に一歩踏み出す可し。過を悔しく思ひ、取り繕はんとて心配するは、譬へば茶碗を割り、其の欠けを集め合せ見るも同にて、詮もなきこと也。 二八 道を行ふには尊卑貴賤の差別無し。摘んで言へば、尭舜は天下に王として万機の政事を執り給へども、其の職とする所は教師也。孔夫子は魯国を始め、何方へも用ゐられず、屡々困厄に逢ひ、匹夫にて世を終へ給ひしかども、三千の徒皆な道を行ひし也。 二九 道を行ふ者は、固より困厄(こんやく)に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔(など)に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れども、人は道を行ふものゆゑ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管(ひたす)ら道を行ひ道を楽み、若し艱難に逢ふて之れを凌がんとならば、弥弥(いよいよ)道を行ひ道を楽む可し。予壮年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、今はどんな事に出会ふとも、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。 追加二 漢学を成せる者は、弥漢籍に就て道を学ぶべし。道は天地自然の物、東西の別なし、苟も当時万国対峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏伝を熟読し、助くるに孫子を以てすべし。当時の形勢と略ぼ大差なかるべし。
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