南極物語
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南極物語 | |
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ANTARCTICA | |
監督 | 蔵原惟繕 |
脚本 |
野上龍雄 佐治乾 石堂淑朗 蔵原惟繕 |
製作総指揮 | 日枝久 |
出演者 |
高倉健 渡瀬恒彦 岡田英次 夏目雅子 荻野目慶子 |
音楽 | ヴァンゲリス |
撮影 | 椎塚彰 |
編集 | 鈴木晄 |
製作会社 | 南極物語製作委員会 |
配給 |
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公開 |
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上映時間 | 145分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
興行収入 | 110.0億円[5][6] |
配給収入 | 59億円[7] |
概要
南極大陸に残された兄弟犬タロとジロと越冬隊員が1年後に再会する実話を元に創作を交え、北極ロケを中心に少人数での南極ロケも実施し、撮影期間3年余をかけ描いた大作映画である[6]。
1971年の『暁の挑戦』以来、フジテレビが久しぶりに企画製作、学習研究社が半分の製作費を出資して共同製作し[6]、日本ヘラルド映画と東宝が配給。フジサンケイグループの大々的な宣伝に加え、少年、青年、成人、家庭向けの計4部門の文部省特選作品となり、映画館のない地域でもPTAや教育委員会がホール上映を行い[8]、当時の日本映画の興行成績新記録となる空前の大ヒット作品となった。1980年代に何度もテレビ放送され、21世紀に入りデジタル・リマスターでの放映の他にも、ケーブルテレビで多く放送されている。
本作の成功の勢いはその後の『ビルマの竪琴』や『子猫物語』などが続き、1980年代以降に続くフジテレビ製作映画の起点ともなった作品である[9]。
キャッチコピーは、『どうして見捨てたのですか なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか』。
ストーリー
1957年(昭和32年)文部省の南極観測隊第1次越冬隊が、海上保安庁の運航する南極観測船「宗谷」に乗り南極大陸へ赴いた。1年以上にわたる南極生活の中で、隊員たちは様々なトラブルや経験に出くわす。
1958年(昭和33年)2月を迎え、第2次越冬隊と引継ぎ交代するため再び「宗谷」で南極大陸へ赴いたが、「宗谷」側は長期にわたる悪天候のために南極への上陸・越冬断念を決定する。その撤退の過程で、第1次越冬隊の樺太犬15頭を、無人の昭和基地に置き去りにせざるを得なくなった。極寒の地に餌もなく残された15頭の犬の運命、犬係だった2人の越冬隊員の苦悩、そして1年後に再開された第3次南極観測隊に再び志願してやってきた隊員の両者が、南極で兄弟犬タロとジロに再会する。
注釈
- ^ 渡瀬恒彦は、2011年放送のテレビドラマ『南極大陸』にも主人公の父親役として出演している。
- ^ 「森島」はパンフレット等の誤植。
- ^ 特別出演※特別出演のクレジット表記なし。
- ^ a b 助監督を兼任。
- ^ 宮忠臣著『タロ・ジロの犬教育基本法「南極物語」のドッグ・トレーナーが明かす名演技の秘密』(学研、1984年)に詳しい。『いつもとなりに犬がいた』(PHP研究所、2009年)でもふれている。映画公開後の1991年には環境保護に関する南極条約議定書が採択され、南極大陸への犬の持ち込みは禁止されている。
- ^ 村山は1968年(昭和43年)に第9次越冬隊を率い、日本人として初めて南極点に到達した。
- ^ 本書は改訂改題し、北村泰一『南極越冬隊 タロジロの真実』(小学館文庫、2007年)として再刊された。
- ^ 本書は改訂され、『タロ・ジロは生きていた 南極・カラフト犬物語』(菊池徹監修、銀の鈴社、2004年)で再刊された。
出典
- ^ a b c d “Antarctica”. IMDb(Company Credits). Amazon.com. 2020年6月2日閲覧。
- ^ a b c d e “Antarctica”. IMDb(Release Info). Amazon.com. 2020年6月2日閲覧。
- ^ “Les films japonais sortis en France en salle(フランスの劇場で公開された日本映画)”. 電気館 Denkikan ─ Le blog du cinéma japonais. 2020年6月2日閲覧。
- ^ “ANTARCTICA(20 mars 1985)”. ALLOCINÉ(アロシネ). 2020年6月2日閲覧。
- ^ “歴代ランキング - CINEMAランキング通信” (2014年7月7日). 2014年7月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 「『熱討スタジアム』 『南極物語』を語ろう」『週刊現代』2022年8月6日号、講談社、140-143頁。
"健さんは絶句、監督は骨折…映画『南極物語』のヤバすぎる撮影秘話プロデューサーとキャストが語り尽くす". 現代ビジネス. 講談社. 2022年8月6日. 2022年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月9日閲覧。 - ^ 1983年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ 「映画人生50年・永遠の青春・古川勝巳」編集プロジェクトチーム編集『映画人生50年 永遠の青春 古川勝巳』古川爲之・古川博三、1987年、p.88
- ^ 大高宏雄『日本映画のヒット力 なぜ日本映画は儲かるようになったか』ランダムハウス講談社、2007年、p.56
- ^ 映画の神さま 2012, p. 284.
- ^ 映画の神さま 2012, pp. 38–39.
- ^ a b c d e f 角谷優「野上龍雄、追悼 『野上さんのこと』」『「映画芸術」』2013年秋 第445号、編集プロダクション映芸、88-94頁。
- ^ 映画の神さま 2012, pp. 105–106.
- ^ 映画の神さま 2012, p. 109.
- ^ 斉藤 守彦 [@morihikosaitou] (2015年11月12日). "映画界でもよくある話で、フジテレビが「南極物語」の配給を打診しに東映に行った際、岡田茂が「犬がウロウロするだけで客が来たら、ワシらが苦労して映画撮る必要ないやろ!!」と、門前払いしたのは有名な話です。". X(旧Twitter)より2023年7月9日閲覧。
- ^ 谷口一久・大出庸子『いつか、オルカ』アワーズ、2007年、p.115
- ^ 映画の神さま 2012, pp. 131–133.
- ^ a b 首藤剛志「第61回 ここまで言っていいのか『さすがの猿飛』」 WEBアニメスタイル シナリオえーだば創作術 2006年8月9日
- ^ 斉藤守彦「斉藤守彦の映画経済スタジアム」『インビテーション』2006年6月号
- ^ 1983年7月23日付「朝日新聞」ラジオ・テレビ欄の番組紹介
- ^ 高田文夫責任編集『笑芸人』1999冬号VOL.1、白夜書房、1999年、p.29
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史1946-1996』キネマ旬報社、1984年初版、1997年4版、p.269
- ^ 平辻哲也「『アマルフィ女神の報酬』とフジテレビ映画小史」『キネマ旬報』2009年7月下旬号。pp.31-32
- ^ ザテレビジョン編『2000年のテレビジョン 放送メディア大激変のシナリオ』角川書店、1993年、p.20
- ^ 荻野目慶子『女優の夜』幻冬舎、2002年、pp.110、117
- ^ 映画の神さま 2012, pp. 135–137.
- ^ 『朝日新聞』1983年8月22日付夕刊(東京)、15頁。
- ^ 『日経産業新聞』1983年8月31日付、14頁。
- ^ 大高宏雄『日本映画のヒット力 なぜ日本映画は儲かるようになったか』ランダムハウス講談社、2007年、p.19
- ^ a b c 『週刊東洋経済』1986年8月2日号、122頁。
- ^ 「南極観測隊OB会報」2008年11月第5号、p.10-11タロジロ再会時の疑問(前編)北村泰一、
- ^ 『毎日新聞 縮刷版』毎日新聞社、1984年10月5日・10月6日付ラジオ・テレビ欄。
- ^ “情に厚い男だった渡瀬さん「南極物語」タロとジロ 共演後も飼い続けた”. Sponichi Annex (2017年3月16日). 2017年3月17日閲覧。
固有名詞の分類
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