南極物語
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データ
- 日本国内劇場公開:1983年(昭和58年)7月23日
- 配給収入:約59億円(当時の日本映画最高配給収入記録、日本映画の歴代興行収入第15位)
- 観客動員数:約880万人
- テレビ放送での視聴率(ビデオリサーチ調べ):1984年(昭和59年)10月5日(前編):26.3%[30]、10月6日(後編):35.3%[30]
- ビデオ売上(ポニー、1986年時点):3万本[30]
DVD副音声参加者(2001年)
副音声の解説者の肩書きはいずれも1983年映画公開当時のもの。
- 角谷優(企画・フジテレビ映画部長)
- 貝山知弘(チーフプロデューサー)
- 蔵原惟二(企画・プロデューサー。蔵原惟繕監督の実弟)
- 蔵原惟繕(製作・監督・脚本。副音声コメントは別録のものを適宜挿入)
エピソード
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- 第1次観測隊に参加した村山雅美が監修を行っている[注 6]。モデルとなった隊員である菊池徹(潮田隊員のモデル)と北村泰一(越智隊員のモデル)も映画化に併せて、回想記として、菊池徹/著『犬たちの南極』(中公文庫、1983年5月)と、北村泰一/著『南極第一次越冬隊とカラフト犬』[注 7](教育社、1982年12月)を刊行している。なお、第1次越冬隊隊長の西堀栄三郎は、その著書に『南極越冬記』(岩波新書、初版1958年)があり、半世紀を越え重版されている。3者とも資料提供などで協力している。
- 潮田暁(高倉健)のモデルとなった菊池徹は、実際には3次隊には参加しておらず、越智健二郎(渡瀬恒彦)のモデルとなった北村泰一のみが犬たちとの再会を果たしているが、劇中では、潮田暁(高倉健)と越智健二郎(渡瀬恒彦)が第3次観測隊に参加してタロ・ジロと再会している。
- 劇中の潮田隊員は、最後の飛行機で昭和基地に行き、そこで残された犬たちを毒殺してくることを要望して却下されるが、史実の菊池徹隊員は、「最後のヘリで基地に自分を連れて行って、そこで犬と一緒に自分も置き去りにしてくれ」と要望して当然却下された。
- 第3次観測隊にも参加しタロ・ジロと再会した北村泰一が「南極観測隊OB会報」に寄稿した内容によれば、実際の再会の様子は、風評とは異なる。決して走りよってきたりせず、10分以上、互いに数メ-トルの間隔を保ち、呼びかけたりした後、タロ・ジロと判明した[31]。なお、下記のコミカライズ版『タロとジロは生きていた』の再会シーンでは映画とは異なり、比較的史実に近い描写がなされている。
テレビ放映
- 初のテレビ放送は1984年10月5日(金曜日)と同年同月6日(土曜日)で、『南極物語 愛と感動のスペシャル』と銘打ち、前後編に分け、それぞれフジテレビ系列の21:02 - 22:52(JST)で放送(21:00 - 21:02は予告番組『今夜の南極物語』を別途放送)、解説は前後編とも『ゴールデン洋画劇場』の高島忠夫が担当した。なお、後者は『ゴールデン洋画劇場』の放送枠だが、本作(後編)は『ゴールデン洋画劇場』枠外で放送された[32]。日本テレビ系列の番組を放送していたテレビ長崎・鹿児島テレビ、日本テレビ系列・テレビ朝日系列の番組を放送していたテレビ大分は後日放送となった。鹿児島テレビは地元百貨店・山形屋一社提供の『山形屋スペシャル』として放送された。テレビ宮崎は放送当時金曜・土曜21時台はフジテレビ系番組だったため、同時ネットで放送した。ライオンが協賛していた映画だったが、当時の金曜21時台・22時台(『金曜女のドラマスペシャル』)スポンサーの関係で花王石鹸(花王)がスポンサーに入っていたほか、土曜も『ゴールデン洋画劇場』のスポンサーではなかったため、ライオンはスポンサーには入っていなかった。
- 2014年11月10日(月曜日)午前3時49分に主演の高倉健が83歳で死去した。これを受けて、同月21日にフジテレビ系列にて特別番組が編成され、本作のデジタルリマスター版と高倉健追悼特別番組として放送された。
- 越智隊員を演じた渡瀬恒彦は、劇中でタロ・ジロを演じる犬たちと信頼関係を築いてから撮影に臨むことを提案。撮影に入る数か月前から自宅で飼育して南極に赴いた。撮影終了後も2匹を引き取って飼うことにした[33]。
- 2023年5月13日、映画公開40周年を記念して、フジテレビの関東ローカル単発枠『土曜スペシャル』でデジタルリマスター版を放送、フジテレビでは3回目にして初の地域限定ローカル放送となる。なおこの日の『土曜スペシャル』は枠(通常は14:30 - 17:00)を12:00 - 17:30に大規模拡大し3部構成に編成、映画は第2部の13:00 - 16:00で放送、第1部(12:00 - 13:00)は映画誕生秘話『南極で映画を撮るんだ!超特大ヒット映画「南極物語」をつくった人たち』、第3部(16:05 - 17:30)は南極大陸ドキュメンタリー『「地球最後の秘境 南極大陸」観測隊が見た神秘の世界』をそれぞれ放送した。
注釈
- ^ 渡瀬恒彦は、2011年放送のテレビドラマ『南極大陸』にも主人公の父親役として出演している。
- ^ 「森島」はパンフレット等の誤植。
- ^ 特別出演※特別出演のクレジット表記なし。
- ^ a b 助監督を兼任。
- ^ 宮忠臣著『タロ・ジロの犬教育基本法「南極物語」のドッグ・トレーナーが明かす名演技の秘密』(学研、1984年)に詳しい。『いつもとなりに犬がいた』(PHP研究所、2009年)でもふれている。映画公開後の1991年には環境保護に関する南極条約議定書が採択され、南極大陸への犬の持ち込みは禁止されている。
- ^ 村山は1968年(昭和43年)に第9次越冬隊を率い、日本人として初めて南極点に到達した。
- ^ 本書は改訂改題し、北村泰一『南極越冬隊 タロジロの真実』(小学館文庫、2007年)として再刊された。
- ^ 本書は改訂され、『タロ・ジロは生きていた 南極・カラフト犬物語』(菊池徹監修、銀の鈴社、2004年)で再刊された。
出典
- ^ a b c d “Antarctica”. IMDb(Company Credits). Amazon.com. 2020年6月2日閲覧。
- ^ a b c d e “Antarctica”. IMDb(Release Info). Amazon.com. 2020年6月2日閲覧。
- ^ “Les films japonais sortis en France en salle(フランスの劇場で公開された日本映画)”. 電気館 Denkikan ─ Le blog du cinéma japonais. 2020年6月2日閲覧。
- ^ “ANTARCTICA(20 mars 1985)”. ALLOCINÉ(アロシネ). 2020年6月2日閲覧。
- ^ “歴代ランキング - CINEMAランキング通信” (2014年7月7日). 2014年7月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 「『熱討スタジアム』 『南極物語』を語ろう」『週刊現代』2022年8月6日号、講談社、140-143頁。
"健さんは絶句、監督は骨折…映画『南極物語』のヤバすぎる撮影秘話プロデューサーとキャストが語り尽くす". 現代ビジネス. 講談社. 2022年8月6日. 2022年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月9日閲覧。 - ^ 1983年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ 「映画人生50年・永遠の青春・古川勝巳」編集プロジェクトチーム編集『映画人生50年 永遠の青春 古川勝巳』古川爲之・古川博三、1987年、p.88
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- ^ 映画の神さま 2012, p. 284.
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- ^ 映画の神さま 2012, pp. 105–106.
- ^ 映画の神さま 2012, p. 109.
- ^ 斉藤 守彦 [@morihikosaitou] (2015年11月12日). "映画界でもよくある話で、フジテレビが「南極物語」の配給を打診しに東映に行った際、岡田茂が「犬がウロウロするだけで客が来たら、ワシらが苦労して映画撮る必要ないやろ!!」と、門前払いしたのは有名な話です。". X(旧Twitter)より2023年7月9日閲覧。
- ^ 谷口一久・大出庸子『いつか、オルカ』アワーズ、2007年、p.115
- ^ 映画の神さま 2012, pp. 131–133.
- ^ a b 首藤剛志「第61回 ここまで言っていいのか『さすがの猿飛』」 WEBアニメスタイル シナリオえーだば創作術 2006年8月9日
- ^ 斉藤守彦「斉藤守彦の映画経済スタジアム」『インビテーション』2006年6月号
- ^ 1983年7月23日付「朝日新聞」ラジオ・テレビ欄の番組紹介
- ^ 高田文夫責任編集『笑芸人』1999冬号VOL.1、白夜書房、1999年、p.29
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史1946-1996』キネマ旬報社、1984年初版、1997年4版、p.269
- ^ 平辻哲也「『アマルフィ女神の報酬』とフジテレビ映画小史」『キネマ旬報』2009年7月下旬号。pp.31-32
- ^ ザテレビジョン編『2000年のテレビジョン 放送メディア大激変のシナリオ』角川書店、1993年、p.20
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- ^ 映画の神さま 2012, pp. 135–137.
- ^ 『朝日新聞』1983年8月22日付夕刊(東京)、15頁。
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- ^ 大高宏雄『日本映画のヒット力 なぜ日本映画は儲かるようになったか』ランダムハウス講談社、2007年、p.19
- ^ a b c 『週刊東洋経済』1986年8月2日号、122頁。
- ^ 「南極観測隊OB会報」2008年11月第5号、p.10-11タロジロ再会時の疑問(前編)北村泰一、
- ^ 『毎日新聞 縮刷版』毎日新聞社、1984年10月5日・10月6日付ラジオ・テレビ欄。
- ^ “情に厚い男だった渡瀬さん「南極物語」タロとジロ 共演後も飼い続けた”. Sponichi Annex (2017年3月16日). 2017年3月17日閲覧。
固有名詞の分類
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