元良勇次郎 元良勇次郎の概要

元良勇次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 23:18 UTC 版)

元良勇次郎
元良勇次郎
生誕 杉田勇次郎
(1858-12-05) 1858年12月5日
三田藩(現・兵庫県三田市の付近)[1]
死没 (1912-12-13) 1912年12月13日(54歳没)
研究分野 心理学
研究機関 東京帝国大学
出身校 ジョンズ・ホプキンス大学
主な指導学生 指導学生を参照。
主な業績 功績の概要を参照。
影響を
受けた人物
川本幸民
ジョン・デューイ
ウィリアム・ジェイムズ
デービス,D.J.
主な受賞歴 従三位 • 勲二等瑞宝章
プロジェクト:人物伝
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元良勇次郎

人物

「元良」は勇次郎が結婚した後の姓である。現在、一般に、元良勇次郎と呼ばれている。なお船舶工学者元良誠三物理学者高橋秀俊は勇次郎の孫にあたる。 勇次郎の生まれた杉田家は、伝承によると九鬼守隆の学友であった杉田市郎右衛門の末裔とされている[1]。 父親は三田藩儒学者であったが、勇次郎が若いころ(1872年)に死去した[1]。 勇次郎は、同志社英学校最初の学生(全8名)で、開校当初に中島力造上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけたひとりだった。同志社英学校では当時としてはめずらしい性理学(現在の心理学)の授業が行なわれており、ここでの心理学との出会いが彼の一生を決定付けた。性理学の講義を担当していたJ・D・デービスが蔵書していたW. B. カーペンター英語版『精神生理学の原理』(Carpenter 1874)に感化される[4]

経歴

栄典


  1. ^ 現在の水準からすると、シンプルな説明ではある。が、成果はもたらした。
  2. ^ これは、自身を用いての実験と言え、これもまた、心理学におけるひとつの考え方・方法論である)。 なお同じ日に夏目漱石も参禅しており、当時の参拝簿には元良と「夏目金之助」の名が隣り合わせに書かれている。(放送大学「心理学史 '05」 2009.10.20放送。担当講師、佐藤達哉 他)漱石と参禅が同時だったことは、(元良勇次郎 1910)にて自身でも述べている。
  1. ^ a b c d e f 佐藤達哉 2001.
  2. ^ 朝日日本歴史人物事典の解説「生年:安政5.11.1(1858.12.5)」 元良勇次郎とは - コトバンク
  3. ^ 『日本心理学者事典』クレス出版、2003年。ISBN 4-87733-171-9 
  4. ^ a b c 高砂美樹 2001, p. 82.
  5. ^ 哲学館事件『東洋大学創立五十年史』東洋大学、1937年
  6. ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
  7. ^ 『官報』第4081号「叙任及辞令」1897年2月12日。
  8. ^ 『官報』第5451号「叙任及辞令」1901年9月2日。
  9. ^ 『官報』第6995号「叙任及辞令」1906年10月22日。
  10. ^ 『官報』第8544号「叙任及辞令」1911年12月12日。
  11. ^ a b c d 放送大学「心理学史 '05」 2009.10.20放送。担当講師、佐藤達哉 他。(印刷教材(西川泰夫・高砂美樹・編著 2005))。


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