三昧耶戒
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- ^ 『後期密教研究』、pp143-214。
- ^ 例として、『大幻化網タントラ』に説かれる「大幻化網戒」が挙げられる。
- ^ チベット密教・ニンマ派の大成就法である「ゾクチェン」において説かれる戒。
- ^ 『波羅夷罪』とは、文字通り全ての資格を剥奪し、声聞乗と大乗と密教を含む各宗派を問わず、あらゆる仏教教団を追放されて仏教徒ではなくなる重い罪なので、『四重禁戒』を破った場合に適用するという説と、『十四根本堕』のどれか一つでも破れば適用するという説と二説あるが、ここでは後者によって記述する。参考文献『密乗圓満之道』のダライラマ14世による「密教の根本戒」の解説によると、「もし、十四の根本の戒律を一つでも破ることがあれば、密教の全ての学習における根本(拠り所)を失い、生きている間における幸運の兆候は無くなり、死後において金剛地獄に落ちることが確定する」とある。
- ^ 『密乘圓満之道』(法燈出版社)、p70。
- ^ チベット語では通常の場合、僧侶のことを「ラマ」(lama)と呼ぶが、この言葉の本来の意味としては導師が近く、漢訳と中国語では「上師」(シャンシー)と表記される。チベット仏教のニンマ派では、各種の資格を得た後に還俗した元僧侶についても習慣的に「ラマ」と呼び、これに対して転生者となる「トゥルク」の場合には、優れた導師に対する称号の「リンポチェ」を、これも習慣として無条件で付けて呼ぶことが多い。
- ^ この戒律は『四重禁戒』の一つであり最も事相に関係するので、その意味を再確認しておくこととする。この戒律の例として、正式な灌頂を授かっていない人に対して、諸仏や諸尊の真言(マントラ)を教えてはいけないし、唱えさせてもいけないし、唱えることを許してもいけない。それを教えたり許可した際にはこの戒律に違反することになり、「波羅夷罪」が適用されて、僧侶の場合には「僧籍に加え全ての資格を失うと共に、2年間一切の宗教活動を禁止し、二度と僧侶となることは出来ない」ことになってしまう。『大日経疏』巻三(大正大蔵経39巻、p609)には、「摩訶衍(マハヤーナ:大乗教。ここでは密教を含む)の中には、復た持明(真言)を以って秘蔵(秘密の教え)とする。未だ曼荼羅に入らざる(即ち、灌頂を授かっていない)者には、読誦せしめず。(中略)このゆえに、真言を修し学ぼうとする者は、先ず曼荼羅に入らしむる(灌頂を授ける)ことを要するなり」とある。更に、『スキ耶経』巻下(大正大蔵経18巻、p772)には、「もし、愚人あって、曼荼羅に入らずして(灌頂を授かっていないのに)真言を持誦すれば(唱えたならば)、遍数を満ずるといえども(お経にあるように10万回や100万回唱えたとしても)、ついに成就せず。復た、(真言を唱えたために)邪見を起こして、その人は命が尽きてから地獄に堕ちる。もし、人あって彼に真言の法を与えれば(教えたならば)、その人もまた、三昧耶戒に堕ちる(違反すること:越三昧耶)となり、命を終えた後に、嚕羅地獄(叫喚地獄)に堕ちる」とある。なお、江戸時代の戒律復興運動に功績があり、如法真言律を提唱し、生涯において三十数万人の僧俗に対して正しい戒律と灌頂を授けた浄厳覚彦の『普通真言蔵』によると、真言について書かれた書物を売買してもいけないとして、真言の大切さと三昧耶戒の厳しさを説いている。
- ^ 『普通真言蔵』(東方出版社)、p1。
- ^ 僧伽(そうぎゃ)とは「サンガ」のことで、正しく出家戒(具足戒)を保つ20人以上の出家の団体、僧団とも言う。
- ^ 声聞乗、大乗、金剛乗も仏教徒となるには戒律を授かる必要があり、そして、戒律を授かり正式に仏教徒になった場合には、月に二回の新月と満月の日か、旧暦の1日と15日に懺悔のための法要である「懺法」(さんぽう、ぜんぽう)を行なわなければならない。また、日本ではこれを別名「布薩会」(ふさつえ)とも呼んでいる。「懺法」を行なう日付を、新月と満月と定められたのは歴史上のお釈迦様以来のことであるが、インドの仏典には「毎月の15日と30日」と書かれている。しかしながら、この日付はインドの暦法の『ティティ』によるものであり、空海の請来になる『宿曜経』には「白日黒日」の暦占法として登場するものの、中国でも日本でも暦法としては採用されなかった。『ティティ』は太陰太陽暦でありながら毎月が必ず30日間あるので、インドの仏典の15日の満月の日と、30日の新月の日とあるのは正しい。しかし、中国と日本の暦法による太陰太陽暦では、毎月が「大の月」と「小の月」とに別れ、「小の月」には29日しかなく、それが不定期に訪れるので仏典の記述とは一致しない。それゆえ、歴史上では29日の月は1日とするなど、時代や地方の暦法によって対応は様々であった。江戸時代にはこうした暦法上の問題がよく知られていて、戒律の次第や経本には『三時配分』として、春分・秋分と、夏至、冬至の三つに分けて日付を変更する方法が載せられていた。また、日付を現行の新暦(グレゴリオ暦)にスライドさせる際にも30日がない月があるので、ここでは、『七倶胝佛母所説準提陀羅尼経』(不空 訳、大正蔵№1076)の注釈書である、『七倶胝佛母所説準提陀羅尼経節要』(宋代)に基づく「旧暦の1日と15日」の説を採用する。日本の戒律の資料には、このインドの暦法である『ティティ』について触れたものがないので、参照の際には注意を要する。なお、この「懺法」の本尊も、三昧耶戒の場合には特別な本尊でなければならない。チベット密教ではヤブユムの金剛薩埵や、各宗派の守護尊(イダム:例えば大幻化金剛)、ヤブユムの四臂観音(六字観音)等、中国密教では大輪明王や准提仏母、ヤブユムの金剛薩埵等、日本密教では大輪明王、准提仏母(準提観音)等が挙げられる。『理趣経』の注釈書である『理趣釈経』には、阿闍梨が三昧耶戒を保つためには「大輪明王の曼荼羅を祀らなければならない」と説かれており、江戸時代の戒律復興運動の際には、中国密教と共に出家戒や三昧耶戒が正しく伝えられ、同時に大輪明王の仏像が渡来して日本でも祀られたので、多面多臂で密教仏と分かる数点の秀作が現在も残されている。
- ^ 『密教占星術』(東京美術)、pp.104-110。
- ^ 『講説 理趣経』(四季社)、pp.246-249。
- ^ 京都府の真言宗醍醐寺には、鎌倉時代初期のものとされる絹本著色「大輪明王曼荼羅」が残されており、また、千葉県の高野山真言宗蓮華堂には、江戸時代の請来品とされる三面八臂の大輪明王の尊像(約48cm)が祀られているのを見ることができる。
- ^ この際の導師は、密教に必要な声聞乗・大乗・金剛乗の全ての戒律を守り、阿闍梨の五明を学んで資格を備えた指導者でなければならない。
- ^ 『外内密戒律手冊』(總持寺出版社)、pp.69-70。
- ^ 密教の特殊な「念持仏」である女尊(仏母や空行母)か女性のパートナーのこと。女性の瑜伽行者の場合は、男尊(明王や護法尊)もしくは男性のパートナーを指す。
- ^ 密教に必要な諸戒律を授かっていないか、または、授かっていても守っていない女性のこと。
- ^ 「阿闍梨の五明」である密教の医学に基づく、諸尊の特殊なレシピによる漢方薬で作られた丸薬や、それを溶かした薬液のこと。密教医学の薬材には「砒素」・「水銀」・「鉛」・「トリカブト」等の劇薬を含むため、微量でも使用を誤れば医療事故につながるために、正式の資格を持たない人物が保管や処方を行なうことは許されない。例えば、モルヒネのなかった古代インド密教の医学では、「水銀」(辰朱、朱砂)は癌の自覚症状を弱めるのに用いられ、中国漢方では「トリカブト」が十大処方の薬材の一つに数えられる。日本密教では「護摩法」の丸薬ぐらいしかないが、チベット密教や中国密教では阿闍梨や密教の医師が専門的な知識として学ぶ。その「薬学」には数多くの薬材が大系的に伝えられており、それらは今でも密教の医療の現場や儀式の処方として用いられている。
- ^ 法器としての弟子、上品・中品・下品の三種類の弟子があるとされる。
- ^ 「息災」ともいう。
- ^ 「調伏」ともいう。
- ^ ここでは、通戒・菩薩戒・三昧耶戒、これら全ての戒律を指す。通戒とは、在家の場合は「三帰依戒」と「在家の五戒」や、「八斎戒」のこと。僧侶の場合は「三帰依戒」と「沙弥戒」(十戒)・「出家戒」(具足戒)等を指す。菩薩戒とは、在家と僧侶に共通となる「菩提心戒」と「十善戒」や、「菩薩戒」を指す。なお、「菩薩戒」には『梵網経』(大正蔵:№1484)に基づく「梵網戒」と、『瑜伽師地論』(大正蔵:№1579)等に基づく「瑜伽戒」と、『優婆塞戒経』(大正蔵:№1488)に基づく「在家菩薩戒」の三種類の菩薩戒があるので注意を要する。日本密教は「梵網戒」を、チベット密教のインド伝来の宗派であるニンマ派・サキャ派・カギュ派の三宗派は「瑜伽戒」を、中国密教は「梵網戒」と「瑜伽戒」・「在家菩薩戒」を、それぞれ継承する。また、チベット密教のゲルク派では、開祖のツォンカパが編纂・創始した独自の「菩薩戒」を依用する。この戒律は、ツォンカパが活躍した時代のツォンカ地方にはỈを始めとする諸戒律が廃れて伝わっていなかったため、数多くの資料を参考に「菩薩戒」を作成した。ゲルク派では伝統の「菩薩戒」として扱うが、個人による編纂でもあり、内容的には菩薩戒と三昧耶戒の訓戒、在家の菩薩戒と出家の菩薩戒とが入り混じっているので、これを出家の「菩薩戒」として扱うか、単に「菩薩の訓戒」と見るかは専門的には意見が分かれるところである。
- ^ 師より授かった全ての教えと修法のこと。
- ^ 「プトガラ」は密教における如来蔵の無我を表す際の用語の一つで、梵語に「ブドッガラ」(pudgala)とする。また、部派仏教の一部や外道の用語では「ブドガラ」(pudgara)とも表記し、それらの派では逆に輪廻の主体や我と理解されて、「ブッガラ」(puggaia)ともいう。いわゆる密教では如来蔵における無我を旨とするから、中国密教では「仏種」(ぶっしゅ)とも訳し、密教の戒律である三昧耶戒では詳しい口伝と解説を要する。もとは大乗仏教の唯識において「アラヤ識」(alaya-vijnana:阿頼耶識、蔵識)と並んで重要な用語であり、「補特伽羅」(ぷとがら)と音写される。法相宗の鼻祖(びそ)である玄奘三蔵の訳語では「数取趣」(さくしゅしゅ)と意訳され、古くは唯識化地部派(けじぶは)では「窮生死蘊」(ぐしょうしうん)と意訳する。インド学においては密教の「プトガラ」をも我性(がしょう)であるとされる場合もあるが、これは後期密教の如来蔵思想がまだ十分に解明されていないことが一因となっている。「プトガラ」の出典は、『増一阿含経』に仏陀の言葉として「阿羅耶識は、生死の際を窮めて間断する時なし。彼の窮生死蘊とは補特伽羅の概意なり」とあることによる。
- ^ 『安らぎを求めて』(善本社)、pp.27-34。
- ^ 世親菩薩の『大乗百法門論』(大正蔵:№1614)には、釈迦如来の言われる「一切法無我」について解説を加えている。問いである「何を持って一切法というのか」と、「何をなして無我とするのか」には、「一切法には略して五種類の意味がある」とし、「言うところの無我には略して二種類がある」として、「一には補特伽羅の無我、二には法(ダルマ)の無我」とあり、補特伽羅を無我の別名としている。なお、前段で「一切法」について詳しく解説しているので、ここで言う「補特伽羅の無我と法の無我とは、一般に言う「人無我・法無我」のことではないと見られる。原文は、「如世尊言、一切法無我、何等一切法、云何為無我、一切法者、略有五種、 -(中略)- 、言無我者、略有二種、一補特伽羅無我、二法無我」。
- ^ 「伝法灌頂」ともいう。
- ^ 『大日経』、『金剛頂経初会』、『蘇悉地羯羅経』、『瑜祇経』、『要略念誦経』の五つをいう。
- ^ 例えば中国の伝統医学では、清代(1644-1912)まで医者が患者の腹部に触ることは禁止されていた。いわゆる小児科や婦人科で腹部に触る「腹診」は、日本の和漢方において江戸時代に独自に発達した技術であり、それが現代の治療法にも生かされている。
- ^ 『四部医典』(ギュ・シ)は、8世紀にチベット人のユトク・ニンマ・ユンテングンポによって編纂された医学書。現行のチベット医学は、主に17世紀にサンゲー・ギャンツォによって編纂された、注釈書の『四部医典瑠璃』と、その解説画集である『四部医典タンカ集』に基づくとされる。
- ^ 『ユトク伝』(岩波書店)、p3。
- ^ 『真言宗全書 第二十二巻』(同朋舎出版)、「秘密文義要」(密教戒相義)、pp56-57。
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