A210
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 16:02 UTC 版)
「アルピーヌ・A210」の記事における「A210」の解説
A210はM65の発展形として1966年に登場し、1969年まで活躍した。 M65からの相違点はトランスミッションをヒューランド製5段から、ポルシェ911用5段へ変更したことと、タイヤをダンロップからミシュランのスリックタイヤに変更した。これはスリックタイヤの最初期の使用例でもあった。車重は690㎏である。生産台数は6台で、他にM65から改修されたマシンが2台存在した。 1966年シーズン、国際スポーツカー選手権(IMC)第5戦 スパ1000㎞でクラス優勝を果たして臨んだ第7戦 ル・マンでは、5台の1.3リッター車と1台の1リッター車、合計6台のA210が出場。アンリ・グランジール/レオ・セラ組の62号車が総合9位、クラス優勝を達成。また11、12、13位完走車が熱効率指数賞の1~3位を独占する活躍を見せた。その後A210はノンタイトル戦のパリ1000㎞でもクラス優勝を果たした。 1967年のスポーツプロトタイプ国際選手権(ICSP)第7戦 ル・マンにアルピーヌはA210を7台、M64を1台出場させた。最上位車はアンリ・グランジール/ジョゼ・ロジンスキー組の46号車で総合9位、クラス優勝を獲得した。他のマシンも10、12位で完走し、1.5リッターエンジン搭載車も13位でゴールと好成績を残した。その後ノンタイトル戦のランス12時間でクラス優勝、スポーツカー国際選手権(ICSC)ディビジョン1第7戦 ニュルブルクリンク500㎞で総合優勝。ノンタイトル戦のパリ1000㎞でもクラス優勝した。 1968年、アルピーヌは3リッターマシン・A220をデビューさせた。A210は主力マシンの座から降りることになったが、小排気量クラスでは有力マシンとして変わらず活躍を続けた。68年のメイクス国際選手権(ICM)第10戦 ル・マンにアルピーヌは3台のA220、2台のA110とともに5台のA210をエントリーさせた。レースではアラン・セルパッジ/アラン・レゲレック組の57号車が総合9位、1.6リッタークラス優勝を達成。総合10位のジャン=リュック・テリエ/ベルナール・トラモント組の52号車も熱効率指数賞を獲得。57、53号車とともに熱効率指数賞の1~3位を独占した。また14位完走のジャン=ピエール・ニコラ/ジャン=クロード・アンドリュー組の55号車が性能指数賞を獲得し、68年のル・マンでA210は大きな戦果を残した。 1969年のICM第8戦 ル・マンにアルピーヌは4台のA220とともに、4台のA210をエントリーさせた。1台の完走にとどまったがアラン・セルパッジ/クリスチャン・エスイン組の50号車が総合12位、1.15リッタークラス1位と性能指数賞を獲得した。アルピーヌは69年シーズン終了後、A220の不振を理由に同年限りでスポーツカーレースから撤退したため、A210も引退することになった。
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