Y逃亡未遂事件
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「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「Y逃亡未遂事件」の解説
湯布院事件 B殺害後に金主をなかなか獲得できないXは「今までは俺が金の工面をしてきたから、今度はお前が金を工面する番だ!」と命じた。YはXの指示で母Dや妹Eに電話で金の無心をしていた。DはYが様々な名目で金を無心したが、Dが了承した時のみ金を渡していた。EはYからサラ金の借金を頼まれたが、「今までさんざん迷惑をかけておいて、今更何なのよ」と言われて拒絶される。 Xが長男と共に別のマンションに行った際に、Yは初めてDをマンションに招きいれて、面と向かって金を求めたが、拒絶される。Yは自分で働いて金を稼ぐことを決意し、Xにも言わないまま、次男を母Dの実家に「母Dが迎えに来ることになってる」と嘘をついて預け、1997年4月に大分県湯布院町でスナックホステスとして働くが、これによりYがXの元に帰って来なくなった。 XはYが逃亡したことを知ると、肉体関係があったDとのやり取りにより、Yが湯布院へ行ったことを知る。Yは自分の子供の様子を聞くために度々実家に電話をしていた。 XはYがBを殺したことを口実に、身内に殺人犯がいることを露見すると世間体が悪くなることを盾にC・D・EをXが住むマンションに巧みに呼び寄せた。また、XはYを自分の下に置くために、Yとたびたび逢っていたC一家3人など通じてX自身の自殺・葬儀を捏造することでYを呼び戻す。 偽葬儀で打ちひしがれているYの前にXが現れ、YはXの指示によって自分の家族によって抑えられた。Yにはこの直後の記憶が無くなっている。こうしてYは再びXの支配下におかれ、Xは今まで以上の虐待をYに行った。 そして、Xは自分の目の前でYに大分県湯布院町の勤め先の雇い主に「給料が安すぎるッ! もっとよこせッ! これから取りに行く」、雇い主の娘が看護師として勤務する病院に「あの娘は薬を横流ししている!」とそれぞれ罵詈雑言と作り話を浴びせる電話をかけさせ、関係を絶たせた。 Aは1997年3月から浴室に監禁されていたが、Yが湯布院に逃亡すると、3週間ぶりに解放されて中学校に通えるようになったが、その代わりにXの子供の世話役などYの代役を担わされることになった。 門司駅事件 1997年5月中旬にXが下関市在住と偽って交際していた女性へ下関市の消印の手紙を出すために、少女Aを監視役にYは下関市に向かった。この時のYの服装はXから借りた男物のカッターシャツとジャージ、男物のスリッパであった。 帰りの列車で門司駅に着いた際にYはXとAに迷惑をかけないために自殺することを考えて富士山の青木ヶ原樹海に行こうと考え、発車を告げるベルが鳴ってドアが閉まろうとした瞬間に、ホームに飛び降りて走った。しかし、監視役のAも素早く反応して列車から降りてYを追いかけた。Yは改札口を出て駅前に停車していたタクシーに乗り込んだが、AがYに乗り込んだタクシーに追いつき窓を叩き大声で叫び声を上げたため、Aの周りに人が群がり「警察を呼べ」という声が聞こえたために、Yは逃亡を断念した。 Aは携帯電話でXに連絡を取り、Yの逃走未遂を告げて指示を仰ぐと、Xから門司駅のホームで待つよう指示される。Yは再び走り出して発車直前の列車に乗り込んだ。しかし、またもAがYが乗り込んだ列車に乗り込み、携帯電話でXに連絡。電車が小倉駅に到着した際にホームにXが待っていたため、Yは逃亡を観念した。 マンションに戻らされたYに対し、Xから今まで以上の虐待が行われた。
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