サムイル (ブルガリア皇帝)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 14:38 UTC 版)
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サムイル Самуил |
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ツァール | |
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在位 | 997年 - 1014年 |
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出生 | 958年 |
死去 | 1014年10月6日 |
配偶者 | アガタ |
子女 | ガヴリル・ラドミール |
家名 | コミトプリ家 |
王朝 | 第一次ブルガリア帝国 |
サムイル(ブルガリア語: Самуил, 958年 - 1014年10月6日[1])は、西ブルガリア帝国(第一次ブルガリア帝国)の皇帝(ツァール、在位:997年 - 1014年(976年から997年までロマン1世と共同統治))。ラテン文字では Samuil, Samuel, Samoil などと表記される。母はアルメニア人だったと伝えられる。
生涯
第一次ブルガリア帝国
第一次ブルガリア帝国は皇帝を称したシメオン1世の死後、反撃に出た東ローマ帝国やセルビア人・マジャール人などとの戦いで衰退していた。969年にはキエフ大公国のスヴャトスラフ1世の遠征によって打撃を受け、さらに東ローマ帝国のヨハネス1世ツィミスケスがブルガリアを征服。皇帝ボリス2世やブルガリアの皇族は東ローマの帝都コンスタンティノポリスへと連れ去られてしまい、いったん第一次ブルガリア帝国は滅びた。
西ブルガリア帝国

しかし、地方長官(マケドニア伯)の息子だったサムイルら4人の兄弟は、ヨハネス1世死後の東ローマの内紛に乗じてブルガリアで反乱を起こした[2]。サムイルはボリス2世の弟ロマン1世の共同統治者として皇帝を称し、オフリダ(現在のマケドニア共和国のオフリド)に首都をおいた。西ブルガリア帝国(「サムイルの帝国」とも)は瞬く間に勢力を拡大し、バルカン半島の西北部を制圧、さらにはギリシャの都市ラリサを占領した。
その後シメオンは、ヨハネス1世の後を継ぎ、親征してきた東ローマ皇帝バシレイオス2世との対決に勝利する(トラヤヌスの門の戦い)。当時の東ローマでは軍事貴族の反乱が相次いでいたこともあって、以後しばらくは東ローマは反撃できない状態が続き、サムイルは黒海からアドリア海に至るバルカン半島の大半を支配し、東ローマには南部の沿岸部しか残されなかった。
しかし、キエフ大公国の援軍を得て反乱を鎮圧したバシレイオスは、990年頃から反撃を開始した。サムイルはハンガリー王国との同盟などで対抗するが、997年のスペルヒオス川の戦いを契機に徐々に劣勢に立たされてしまう。1000年頃から東側の領土を次々に東ローマに奪われ、バシレイオス2世の懐柔策により東ローマ帝国の高官の地位や多額の恩賞を得た軍司令官たちが次々と東ローマに寝返っていった。その中にはブルガリア皇帝ペタル1世の息子ロマン1世などもいた。
1014年の7月、クレディオン峠の戦い[3]でサムイルは東ローマ軍に敗北する。サムイルは逃れたものの、バシレイオス2世が送ってきた両目を潰された1万4千人ものブルガリア人捕虜[4]がぞろぞろやってくるのを見て卒倒し、2日後の1014年10月6日に崩御した。[5]
サムイルの崩御後も残された2人の息子や将軍たちが抵抗していたが、4年後の1018年には東ローマに降伏している。
脚注
- ^ Samuel tsar of western Bulgaria Encyclopædia Britannica
- ^ 東ローマによる征服以前にブルガリアは東西に分裂しており、征服されたのは東側のみで、サムイルたちは残った西側の君主だという説もある[要出典]。
- ^ 現在のブルガリアKlyuch(現在のブラゴエヴグラト州ペトリチの一部)近郊のベラシツァ山脈にあるクリュチ峠で行なわれた。クレディオン(英: Kleidion)は中世ギリシャ語での呼称。クリディウム(英: Clidium)はラテン語での呼称。Klyuchはブルガリア語での呼称。ベラシツァの戦い(Battle of Belasitsa)とも。
- ^ 盲目の捕虜たちの案内役にするため100人当り1人は片目は潰されずに残されていた[要出典]。
- ^ これによりバシレイオス2世は「ブルガリア人殺し(ブルガロクトノス)」とあだ名されている。
参考文献
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- 尚樹啓太郎 『ビザンツ帝国史』 東海大学出版会、1999年。
- ロバート・ブラウニング 『ビザンツ帝国とブルガリア』 金原保夫訳、東海大学出版会、1995年。
- 井上浩一、粟生沢猛夫 『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』 中央公論社、1998年。
「Samuel of Bulgaria」の例文・使い方・用例・文例
- <Simon, Samuel).
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
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