スエズ【Suez】
スエズ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 13:59 UTC 版)
スエズ السويس as-Suways ![]() |
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スエズ港には多くの船が行きかう |
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位置 | |
座標 : 北緯29度58分 東経32度33分 / 北緯29.967度 東経32.550度 | |
行政 | |
国 | ![]() |
県 | スエズ県 |
市 | スエズ |
人口 | |
人口 | (2019年現在) |
市域 | 775,513人 |
その他 | |
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) |
スエズ(英語:Suez、アラビア語:السويس, as-Suways、エジプト方言:es-Swēs, エジプト・アラビア語発音: [esseˈweːs], エッセウェース)は、エジプト東部の都市でスエズ県の県庁所在地である。人口約80万人 (2019年)。紅海のスエズ湾に面し、スエズ運河の南端に位置する。製油所、化学肥料工場が多くある。カイロと国道33号や鉄道で結ばれている。スエズはメッカ巡礼に向かうムスリムたちの拠点となっている。

歴史
7世紀に現在のスエズの街の近くにあった、ギリシャ語で浣腸あるいは海の潮汐を意味する Κλύσμα に由来するラテン語名 Clysma またはトルコ語名 Kolzum、アラビア語名 القلزم, al-Qulzum として知られる町が、ナイル川と紅海を結ぶ運河の終点にあった。16世紀にはオスマン・トルコの海軍基地があった。
1869年のスエズ運河完成後、街は港としての重要性を増していった。紅海と地中海を結ぶこの運河は、イギリスと当時イギリスの植民地であったインドを喜望峰ルートよりも圧倒的に時短での貨物船の運行が可能になった。ジブラルタルと共に地中海の貴重な出入り口であるため、第二次世界大戦などで攻撃対象となった。1960年代後半と1970年代における、エジプトとイスラエルの戦争により、街は事実上破壊された。続く1967年の第3次中東戦争でも街は破壊された。1973年10月にスエズ運河が再開され、スエズの街の復興が始まった。
姉妹都市
脚注
関連項目
- 第二次中東戦争(スエズ危機)
外部リンク
Suez(スエズ運河)
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「バトルフィールド4」の記事における「Suez(スエズ運河)」の解説
スエズ運河上流西岸のイスマイリアの米軍と合流するため、撤退していたUSS ヴァルキリーは運河内へと進入するが、中国軍がすでに運河の北岸を制圧しており、上流にはチャン提督の乗る艦艇が進路を阻むように待ち伏せしていた。トゥームストーンはC4爆薬を使いチャン提督の艦艇を沈めようとするが、起爆する段階でC4爆薬の信管が故障する。
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