OL委員会(おじさん改造講座)
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「清水ちなみ」の記事における「OL委員会(おじさん改造講座)」の解説
コンピューター会社在職中に会社の「おじさん」の生態に興味を覚え、OL仲間向けのFAXアンケートを作成。回答が面白かったので週刊文春に持ち込んだところ「おじさん改造講座」として連載が決まる。当時週刊文春の編集長を務めていた花田紀凱からは企画内容については全く注文がなく、清水は自由に誌面を使うことができた。 任意団体「ペンだこの会(OL委員会)」として週刊文春誌面で有料会員を募りアンケートを郵送。清水のもとに大量の返信が届き、取捨選択された面白い回答を集めてコラムとして連載した。アンケートの発送費用や郵送代は週刊文春が負担。アンケートの集計は会員から希望者を募りボランティアで行なわれていた。 会員数は当初は200人、書籍によると会員は1993年には3000人、2001年には1万人いたとされるが、清水は最大8000人だったと語っている。 アンケートを元に書籍化されたエピソードから「おじさん改造講座」がアニメ・テレビドラマ化、「大失恋。」が映画化。連載は、それまで男性中心の読者層だった週刊文春が女性週刊誌以上に女性の支持を受けるきっかけのひとつとなった。 連載担当の編集者だった柳澤健の協力を得て、2020年現在も不定期に誌面で続く似ている有名人の写真を並べる「顔面相似形」を企画・掲載。当時皇太子だった浩宮の写真の髪型を加工、ОL委員会による人気投票をした1991年6月20日号「浩宮さまヘアースタイル改造計画」は右翼から猛抗議を受け、花田と当時のグラビアデスクは提供写真の無断加工を咎められ宮内庁に呼び出されたが、連載は継続された。 アンケートを元に会員には会報誌「ぺんだこん」(コピー機で作成)が送られたが、雑誌や本に採用されたエピソードの作者に掲載誌(書籍)の送付や印税・お礼という形での還元はなかった。 「おじさん改造講座」の連載は1987年から1997年まで続き、連載終了でアンケートの継続が難しくなったことや清水の体調不良などを理由に委員会活動は2004年を最後に休止。会員に休止に伴う説明は十分になされておらず会費の使途も説明されなかった。アンケートを元にした紙の書籍は2008年まで、電子書籍は2012年まで発行された。 2016年1月、清水は週刊文春WOMANで「あの頃、私はOL委員会だった」を執筆。また、同誌では、漫画家の西炯子がOL委員会の会員であったことをカミングアウトしている。
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