NSLの問題とAリーグ発足の経緯
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「オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ」の記事における「NSLの問題とAリーグ発足の経緯」の解説
NSLは多くの問題があった。一つは財政破綻の問題である。1970年代から2004年までの間にNSLの累積赤字は日本円で約400億円に上るまでになっていた。毎年、政府はNSLに対して、補助金を支給してきたが、その使途も不透明であった。そのため、政府としてもNSL改革は急務であった。他の問題として、NSLのクラブのほとんどが移民のチームだったことがある。小都市のチームこそ、多人種混合チームも存在したが、大都市では移民のそれぞれの出身国のクラブが競い合っていた。その為、試合では民族間の代理戦争とも言えるサポーター同士の衝突が頻繁に起きた。例えば、クロアチア系移民のチームのシドニー・ユナイテッド(旧シドニー・クロアチア) (Sydney United)とギリシャ系移民のチームのシドニー・オリンピック (Sydney Olympic)の試合では、クロアチア系移民とギリシャ系移民が衝突するわけである。そのような民族色が強い移民のチーム同士のリーグ戦に一般の国民が興味を抱くわけがなく、さらにチーム間のサポーター同士の衝突もあり、一般国民にとってのサッカーのイメージは暴力的で民族色の強い移民のスポーツというものであった。オーストラリアサッカー連盟も何の手も打たなかったわけではなく、1990年代からNSLのチーム名に民族的な由来を示すような名前をつけることを禁止し、「都市名のみ」または「都市名+愛称」の新しい名称に変えることを義務付けるなど、移民のスポーツからの脱却を図ったが、決定的な解決にはならなかった。 これらの問題を全て解決するために、2003年に就任したFrank Lowy(フランク・レービ)オーストラリアサッカー連盟会長の下、NSLを清算し、2004年11月に同国初のプロリーグAリーグを発足させた。Aリーグは『民族』ではなく、日本のJリーグ同様『地域性』をコンセプトにすえ(例えば、シドニー市民は、出自の民族に関係なくシドニーFCを応援する)、1都市1チームを原則として、民族色の強いチームを排除し、暴力的なイメージを一新させた。なお、Aリーグに加入できなかったNSLのチームは、規模を縮小し、Aリーグとは別の独自のリーグ戦を開催している。Aリーグは2005年8月より本格的にリーグ戦を開始し、Aリーグ全体平均観客動員数1万人を記録(シドニーFCは平均観客動員数1万5千人)。Aリーグは、移民のスポーツであり、マイナースポーツであるとのオーストラリアのサッカーのイメージを一新させることに成功した。
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