NLPの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/18 14:33 UTC 版)
詳細は「神経言語プログラミング」を参照 1972年、UCSCにおいてゲシュタルト療法のモデル化の協力を仰いだ心理学の学部生リチャード・バンドラーに出会う。バンドラーは多くの時間をフリッツパールズ(ゲシュタルト療法の創始者)の編集とレコーディングに多くの時間を費やしており、自然にそれとなくゲシュタルト療法を学んでいた。グリンダーとバンドラーはフリッツパールズにはじまり、次に家族療法のトップセラピスト、バージニア・サティア、その後、精神医学催眠のトップセラピスト、ミルトン・エリクソンと、様々セラピストの認知、行動、パターンのモデル化を続けた。これらは、『魔術の構造1,2巻』(1975,1976)、Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Erickson, Volumes I & II (1975, 1977) と Changing With Families(1976)で発表された。これらのワークがNLP創始の土台をなす方法論を形成した。 バンドラーとグリンダーはセミナーやプラクティスグループなどを主催するようになる。これらのセミナーやプラクティスグループにおいて、バンドラーとグリンダーは参加者にNLPのスキルを伝えるかたわら、新しく発見されたパターンの実践とテストを行うことができた。『王子様になったカエル』など、いくつかの本がセミナーの内容をまとめる形で出版された。これらの期間、学生や心理セラピストなどで形成される創造的なグループがバンドラーやグリンダーの周りで作られた。グループのメンバーには、ロバート・ディルツ、レズリー・キャメロン・バンドラー、ジュディス・ディロージャ、スティーブ・ギリガン、デビッド・ゴードンなどが含まれており、NLPに価値のある貢献を捧げている。 1980年代、バンドラー、グリンダー及び彼らの協会は仲たがいにより分裂し、共同研究が終わった。これにより、多くのグループのメンバーは独自の活動をはじめ、各方面にNLPが用いられるようになる。いくつかのバンドラーとグリンダーの本は、両著者の法的な問題により、しばらく絶版状況になった。NLPの土台として知られる『魔術の構造1,2巻』、Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Ericksonは後に再出版された。バンドラーは神経言語プログラミング(NLP)という語の法的な所有権を主張を試みたが、最終的には、それは一般用語であるとされ却下された。したがってNLPのトレードマーク(TM)は認められなかった。2001年前後にグリンダーとバンドラーは、お互いの主張をお互いが努力をした分野として整理し、NLP発展の未来のための土台を作った。
※この「NLPの開発」の解説は、「ジョン・グリンダー」の解説の一部です。
「NLPの開発」を含む「ジョン・グリンダー」の記事については、「ジョン・グリンダー」の概要を参照ください。
- NLPの開発のページへのリンク