NLP使用の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 20:32 UTC 版)
1983年(昭和58年) - 厚木基地で空母艦載機による夜間離着陸訓練が行われるようになると、騒音問題が大きな懸念事項になった。 1983年(昭和58年)12月 - 三宅島村議会で「三宅島空港ジェット化促進のための官民共用空港誘致の意見書」が採択され、日本政府は三宅島を、厚木基地に代わる夜間離着陸訓練の重点候補地とする(採択の背景には、同年10月の三宅島噴火の被災による災害復旧のための資金が欲しかったという)。 1984年(昭和59年)9月 - 村議員のリコール選挙が行われ、議会では基地反対派が多数派となる。また、島民の過半も反対派となった。 1988年(昭和63年)8月 - 三宅島への移転が島民の反発にあい、計画が進まない中、瓦力防衛庁長官(当時)が、厚木基地は夜間離着陸訓練を行う場所として不適切として、硫黄島への実施場所移動について言及している。 1989年(平成元年)1月 - 暫定地として硫黄島とすることが発表された(米軍は、日本が訓練のための施設整備等を行うことを前提に、硫黄島で夜間離着陸訓練を行うことを同意した)。 1989年(平成元年)12月 - 工事が始まる。 1991年(平成3年)6月18日 - 日米共同委員会において、すでに完成した施設の提供に合意(以後、数度にわたって施設提供についての合意が行われる)。 1991年(平成3年)12月 - 硫黄島で初の夜間離着陸訓練が行われた。 1993年(平成5年) - 当初予定していた施設が全て完成。 1993年(平成5年)4月23日 - 日米共同委員会における施設提供の合意によって、硫黄島の諸施設は米軍に提供されることとなった。
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