NLPの共同開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 14:19 UTC 版)
「リチャード・バンドラー」の記事における「NLPの共同開発」の解説
バンドラーは近代自己啓発運動の重要な人物と考えられている。彼はかつて精神科医ロバート・スピッツァーに依頼され、家族療法家バージニア・サティアのセミナーの録音、記録を行っていた。彼はThe Gestalt Approach (1973)の編集についてもスピッツァーの手伝いをした。その本はゲシュタルト療法のフリッツ・パールズの手書き原稿をもとに作られたものである。彼はまたEyewitness to Therapyの原稿チェック補助も行っていた。 スピッツァーによると「バンドラーは、フリッツ・パールズのように話し、行動するようになった」とのことである。 バンドラーはカリフォルニア大学サンタクルーズ校の生徒だった際、ゲシュタルト療法のグループを指導していた。彼の講義を受けたジョン・グリンダーはバンドラーに「あなたが講義の中でしたほとんど全ての質問やコメントを自分が研究している言語学の変形文法で説明できる」と伝えた。それがきっかけで彼らはメタモデルと呼ばれるセラピーモデルを開発した。それが彼らの初著作となる『魔術の構造 第1巻』(1975)となったのである。 リチャード・バンドラーはグレゴリー・ベイトソンの家主であった。ベイトソンはグリンダーと同様にUCSCのクレスギ校で教鞭をとった後、サンタクルス山の近く、アルバロードのベンローモンド共同体に移っていた。ベイトソンはバンドラーの将来に深遠な影響を与えることになった。バンドラーとグリンダーにミルトン・エリクソンを紹介したのも彼であり、それらが神経言語プログラミングの基礎モデルの一部を形成した。 1975年、バンドラーは自身の出版会社Meta Publicationsを創設し、Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Erickson Volume I(1975)を出版した。バンドラーとグリンダーは、『魔術の構造 第2巻』(1976年)、Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Erickson Volume II (1977)バージニア・サティア自身との共著Changing With Families と続けざまに出版した。 それ以来、バンドラーのキャリアは著者として、出版家として、スピーカーとして、コンサルタントとして、NLPやその関連分野の発展とプレゼンに集中している。受講生には自分の人生の改善を求めている者や、販売を向上させるなどビジネスに応用する者などもいる。
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