Mk.I軽戦車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:29 UTC 版)
Mk.I軽戦車はカーデン社のMk.VIIタンケッテと幾つかの点を異にしている。外部のサスペンションの桁は、車体を支持する緩衝装置の強化により外されている。傾斜が付いた銃塔は円筒形のデザインに交換されたものの、いまだに.303口径のヴィッカース重機関銃1挺を装備していた。基本装甲は14mmが与えられ、重量を増して最高速度を48km/hに落とした。 メドウスエンジンは4速の変速機から前方の起動輪を介して軌道を動かした。操向は、急な転回のためには片方の軌道へのクラッチ断とブレーキングの組み合わせが用いられた。軌道には後方の誘導輪によりテンションがかけられていた。これが起動輪と同一の高さを保つのはイギリス戦車では新しい設計だった。また3個の上部転輪により軌道がめぐって返された。 Mk.IAはより大きな上部構造が設けられ、機関銃を操作するため大型の銃塔が付いた。水平巻きバネのついたホルストマン・サスペンションがMk.Iの板バネと交換された。適度な状況では乗り易くなったとはいえ、このスプリングは特定の状況下では制御不能の動揺を引き起こした。 1931年、Mk.IA軽戦車は試験のためにインドに送られた。これらは暑熱の気候下でエンジン冷却を改善するための装備を受け取り、同様に乗員の暑さを軽くするための様々な手段が試験された。 Mk.I:A4E2~A4E5までの4両もしくは5両が生産された。基礎となったのはカーデン・ロイド Mk.VIII 試作軽戦車である(カーデン・ロイド Mk.VIII 試作軽戦車とヴィッカース Mk.I 軽戦車は重複している。ヴィッカース Mk.I 軽戦車と言えば、特にA4E4のことを指している場合が多い)。 Mk.IA:A4E6~A4E10までの5両が生産された。これらのうち4両はインドに試験のため送られた。A4E10は、.303インチ(7.7 mm)と.50インチ(12.7 mm)の2つの機関銃を、上下の縦に、一つの砲塔(二重砲塔と呼ぶ)に備える。なお、A4E11(L1E1)、A4E12(L1E2)は、ヴィッカース Mk.I 軽戦車の部品を流用した、水陸両用戦車である。
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