KK-MPi 69
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/26 04:25 UTC 版)
KK-MPi 69 | |
---|---|
![]() |
|
種類 | 小口径短機関銃 |
原開発国 | ![]() |
開発史 | |
開発期間 | 1969年 |
製造業者 | エルンスト・テールマン車両及び猟銃工場(ズール) |
諸元 | |
重量 | 3.4 kg(銃のみ) |
全長 | 870 mm |
銃身長 | 440 mm |
|
|
弾丸 | 5.6x15.5 mm R M70(.22lfB弾) |
作動方式 | 長ガス・ピストン式 回転ボルト閉鎖 セミ/フルオート切替射撃 |
発射速度 | 単発:40発/分 連発:100発/分(理論上は最高700発/分) |
装填方式 | 15連発着脱式箱型弾倉 |
KK-MPi 69は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)にて訓練用機材として開発された小口径短機関銃(Kleinkaliber-Maschinenpistole, KK-MPi)である。製造はエルンスト・テールマン車両及び猟銃工場(ズール)が担当した[1]。
スポーツ技術協会(GST)が実施する軍事教練の際、国家人民軍の制式小銃MPi-K(国産化したAK-47)の取扱訓練に用いるべく開発された。そのため、設計上はいくつかの差異があったものの、重量や寸法はMPi-Kを再現していた。
概要
KK-MPi 69は、長ガス・ピストンおよび回転ボルト閉鎖を作動方式として採用している。口径は5.6mm(.22口径)で、シェーネベックにて特別に製造されたM70弾を使用する。給弾は単列式の箱型弾倉から行われる。銃および弾倉の寸法と重量、基本的な操作方法は、国家人民軍の制式小銃だったMPi-Kを再現している。リコイルスプリングはM70弾の反動に合わせ、MPi-Kよりも小さいものが採用されている。外見もMPi-Kに似せられていたが、細身のハンドガードを採用している点、ガスチューブとマズルナットが設けられていない点で区別できる。銃床、ハンドガード、ピストルグリップは茶色の樹脂製である。銃床は固定式のみで、折畳式のバリエーションは存在しなかった。クリーニングロッド、着剣装置も設けられていない。MPi-Kと同様、セミ/フルオート射撃を切り替えられるセレクティブファイア機能を備えていた。銃口初速は310m/sで、有効射程は100mであった。
運用
KK-MPi 69は、スポーツ技術協会(GST)が軍事教練の一環として行う自動小銃取扱の講習にて主に使用された。また、一部は国家人民軍の射撃訓練でも使用されている。単列式弾倉の構造上、弾づまりが起こりやすく、当然ながら実戦への投入は想定されていなかった。
KK-MPi 69の大部分はGSTが訓練用機材として保有しており、ドイツ再統一後は後継団体の技術・スポーツ団体連盟(Bund Technischer Sportverbände, BTSV)に引き渡された。当時、国家人民軍から接収された銃については、完全に販売が禁止され、およそ50,000丁の全てが処分されることとされていた。しかし、スイスや旧西ドイツに所在する複数の銃器関連企業は直ちにこれらの入手を試みた[2]。現在のドイツ連邦共和国においては、所定の許可を得るか、半自動銃化の改造を施されたKK-MPi 69は、猟銃ないしスポーツ銃としての所持が認められている。
脚注
- ^ John Walter (2001), Kalaschnikow. Das Sturmgewehr und seine Ableger [Kalashnikov], Waffen und Gerät, 9, translated by Willi Kaiser, Stuttgart: Motorbuch, p. 59, ISBN 3-613-02102-1。
- ^ "DDR-Waffenverkäufe. Millionengeschäfte mit dem Nachlaß", Visier (ドイツ語) (11), p. 90, 1990
参考文献
- Reiner Lidschun, Wilfried Kopenhagen, Günter Wollert (1988), Schützenwaffen heute (1945–1985). Illustrierte Enzyklopädie der Schützenwaffen (ドイツ語), 2 (1. ed.), Berlin: Militärverlag der DDR, pp. 203–205, ISBN 978-3-327-00513-2。
- Ernst G. Dieter (2007), Sportgewehre und Sportpistolen Kaliber .22 aus Suhl und Zella Mehlis - die Zeit nach 1945 (ドイツ語), Liebenstein: Ernst D. Dieter Selbstverlag, pp. 30–31, 102–104, ISBN 978-3-00-023488-0。
関連項目
外部リンク
- Vorschrift zur KK-MPi 69 (Titelbild, Gesellschaft für Sport und Technik)
- Bild mit Erklärungen
- "MPI-69 MDL Accessories". GunpartsCorp.com (英語). Numrich Gun Parts. 2015年8月28日閲覧。 Explosionszeichnung
「KK-MPi 69」の例文・使い方・用例・文例
- 「リカレントエデュケーション」とは生涯学習のことで、新しい概念ではなく、1969年にスウェーデンの教育学者が発案したものである。
- 1969年に宇宙飛行士が月面を歩いた。
- 1969 年ロンドン大学の日本研究科に入ると友人の多くから変わり者扱いされた.
- 僕の背は 169 センチです.
- 1690年のアイルランドの大同盟戦争における戦い
- ルイ14世によってスペインと神聖ローマ帝国とイングランドとオランダと他の州に対して行われた侵略戦争(1689-1697年)
- 60歳から69歳まで
- 最初の月面着陸は1969年7月20日のアポロ計画によって達成された
- 1969年、ヘルシンキで行われた米国とソビエト社会主義共和国との間での交渉で、両国での核兵器の保有を制限することを目的とされた
- 69年から96年のローマ帝国の王朝で、ベスパシアヌスとその息子であるティトゥスとドミティアヌスの時代にあたる
- バチカン市国から承認なしでコンスタンティノープルの家長になったPhotiusを非難した、その結果、東の、そして、西の教会の間の分離を沈殿させた869における協議会
- 権威によって話す時の、ローマ法王の絶対確実性を宣言した1869年−1870年のバチカン公会議
- 人は、1969年に最初に月に足を踏み入れた
- 体重が169から175ポンドの間のプロボクサー
- フランスの恋愛作品を書いた作曲家(1803年−1869年)
- アイルランドの化学者で、空気には重量があると確信し、元素と化学反応の定義が化学を錬金術から分離するのを促した(1627年−1691年)
- フラマン人の風景画家(1525年−1569年)
- 首相としてのファシスト・ドイツに対する慰撫の政策を進めた英国の政治家(1869年−1940年)
- 人当たりのいい機知にとんだ英国の政治家で、大部分は、その息子への手紙で知られる(1694年−1773年)
- イタリア人の1769年から1774年までの教皇で、支持がカトリック・ヨーロッパに残っているにもかかわらず敗れ、教会が非宗教的な王子の手に落ちる原因となった(1705年−1774年)
- KK-MPi_69のページへのリンク