J-WAVE SHIBUYA HMV STUDIOからの公開生放送
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「GROOVE LINE」の記事における「J-WAVE SHIBUYA HMV STUDIOからの公開生放送」の解説
放送開始から3ヵ月後の1998年7月から2009年9月30日までの11年3ヶ月間は東京都渋谷区の渋谷センター街にあるHMV渋谷(2010年に閉店し、現在はFOREVER 21渋谷店が入居)2階に設置されたサテライトスタジオから公開生放送を行っていた。HMV渋谷の休店日(毎年9月第1月曜日、年末年始など)は、六本木ヒルズ森タワー33階にあるJ-WAVE本社のスタジオから非公開で放送となっていた。 ゲストを呼ぶ際、サテライトスタジオがHMV渋谷2階のCD売り場に直結しているため、ゲストによっては店内の混雑を避けるためゲストコーナーだけHMVのイベントスペースで行うこともあった。その際は前もって整理券を配布していた。 また、公開生放送だったころはスタジオ前の観客に話しかけながら番組が進行していくことも多々あった(放送では言えないような情報は観覧客だけに筆談で公開したり、スタジオ外に設置のスピーカーのみにつながっているマイクを使って話をしていた)。またカップルで行くと西沢にいじられて、カップルにとって答えにくい妙な質問をして、「これがきっかけで別れたカップルが沢山いるんですよ」と、西沢は言っている。西沢はたびたび下ネタを匂わす(あるいは完全なる下ネタ)言葉や、あるいは放送コードすれすれの発言をし、それを秀島へ無茶振りをしたり、観客に「わかるな?」「わかるんだな?」と投げかける等、夕方のFM放送らしからぬトークが一つの名物となっていた。また下ネタトークの際は秀島は自分の存在を消すために完全に無言になる。しかし、たまに口を開くと西沢以上に危ない発言をして、西沢に逆に注意される(これは、六本木に移っても健在である)。また秀島の性格なのか曲をかけた時もイントロ部分が完全に終わるまで番組のアドレス(時間がないとドットの部分を抜いて言う)などを繰り返すなどして、トークをかぶせてくる。 スタジオに観覧に来たリスナーにはプレゼントとしてノベルティのステッカーが配布されていた。ステッカーは色が何種類かあり、日替わりで異なる色のステッカーがもらえた。ただし西沢がじらすなどして、スタッフがステッカーを配布するまでに時間がかかる事もあった。西沢によると公開生放送終了後のステッカー配布は郵送にて対応とのことだったが、半年後に開始された後番組GROOVE LINE Zでは中継コーナー「ラジオゲリラ」に参加したリスナーに配布することになった。 このサテライトスタジオからの放送開始当初はGL以外にも『SUPER LINE'J'』の公開生放送が行われたりしたこともあった。このスタジオでの音声業務は基本的に出演者の音量ミックスとリスナー観覧客頭上のスピーカー傍にあったガンマイクの調整が主であり、BGMや放送楽曲およびニュースや交通情報などのインフォメーションの音量調整は西麻布→六本木のJ-WAVE本社で行われていた。従って、生放送中に西沢や秀島が逆キューを振る姿が見られた。なお、このスタジオにはほかのサテライトスタジオのようなマイク設備はなく、原則出演陣はヘッドセットマイクを使用していたため、それを利用してスタジオ内を動き回りながら放送していたこともあり西沢は「日本初のアクションDJ」と呼称していた。 なお、ゲストが登場する際は、マイクのつけてあるスタンドに既にケーブルが繋いであるものが常備されていて、ゲストはそれとヘッドホンを装着して放送に参加していた。また、曲がかかっている間にスタジオ観覧に来たリスナー向けにナビゲーターとゲストがトークをすることがあり、その際は前述のスタジオ外に設置のスピーカーのみにつながっているマイクを使用していた。
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