GP2 / F2シリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:32 UTC 版)
「松下信治」の記事における「GP2 / F2シリーズ」の解説
2015年度からは唯一の日本人ドライバーとして、F1直下のカテゴリーであるGP2シリーズに参戦。チームは過去にルイス・ハミルトン、ニコ・ロズベルグ、ニコ・ヒュルケンベルグらが在籍したARTグランプリである。松下にとっては初めての海外レースへの参戦となり、グランプリレースが行われる全てのサーキットでの走行経験が無いため、厳しい戦いが予想された。しかし開幕戦のバーレーングランプリでは、初のGP2シリーズ予選でいきなりのフロントローという驚くべきリザルトを残した。また続くスペイングランプリでもファステストラップを記録している。しかしシーズン前半戦は予選での速さとは裏腹に、決勝でのタイヤマネージメントなどに苦しみベストリザルトは6位に留まっていた。そんな中結果が出始めたのは、中盤戦に突入したオーストリアグランプリ。予選ではまたもフロントローを獲得すると、決勝では3位初表彰台を獲得した。そして続く真夏のイギリスグランプリでは、スタートからロケットスタートを決め、優勝争いに食い込む走りを魅せた。しかし2位走行中にエンジントラブルで惜しくもリタイヤとなった。 中盤戦から予選、決勝共に速さを見せてきた松下は遂にハンガリーグランプリで自身、初優勝を飾った。レースはチームメイトでもありMclaren-Honda テストドライバーのストフェル・バンドーンとの一騎討ちとなった。レース序盤、バンドーンはファステストラップ連発の走りで松下の背後コンマ4秒まで接近。これに松下もファステストラップを記録して対抗するが、中盤には松下が3秒近くヴァンドーンを突き放し、全く隙のない力強い走りでそのままチェッカーフラッグを受けた。GP2シリーズでの日本人ドライバー優勝は史上2人目で、これは2008年の小林可夢偉以来となる快挙となった。そしてハンガロリンクに2006年のHonda F1優勝以来の君が代が流れ、表彰式の国際映像には、Honda F1のプロジェクトリーダー新井康久らが微かに涙ぐむ姿が映し出された。また第10戦バーレーンのレース1では3度目の表彰台(2位)を獲得し、GP2初年度はランキング9位で終えた。 2016年度も引き続きARTグランプリからGP2シリーズに参戦。そして第2戦のモナコグランプリで、日本人ドライバーでは史上初となるモナコ市街地サーキットでの優勝を飾った。2位以下を13秒以上引き離し、ファステストラップも獲得した完璧なレースであった。続く第3戦のアゼルバイジャングランプリでは、予選で再びフロントローを獲得し、決勝レースでは終始トップを走行するも、レース後半のセーフティカーリスタート後の多重クラッシュの原因を作ったとして、1ラウンド出場停止のペナルティを受けてしまうこととなる。復帰戦の夏のイギリスグランプリでは5位という結果だったが、その後のヨーロッパラウンドではリタイアなど精彩を欠いたレースが続き、2017年限りでGP2のシートを失った。 2018年、スーパーフォーミュラに出場する傍ら自力でGP2復帰を模索。スポンサー集めや出場チーム首脳らにコンタクトを取り続けて、ホンダ側の再支援を取り付けることに成功。そして2019年、FIA F2(旧GP2)シリーズに「カーリン・モータースポーツ」から参戦開始。第6戦オーストリアGPにて、GP2時代を通し初のレース1優勝を達成した。 2020年、MPモータースポーツに移籍し引き続き参戦したが、第9戦終了後、BWT HWAレースラボのジュリアーノ・アレジの移籍加入に押し出される格好で再びシートを失った。
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