D.R.I.とは? わかりやすく解説

D.R.I.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/01 14:11 UTC 版)

Dirty Rotten Imbeciles(D.R.I.)
出身地 アメリカ合衆国
テキサス州ヒューストン
ジャンル ハードコア・パンク
クロスオーバー・スラッシュ
活動期間 1982年 - 現在
レーベル Rotten, Metal Blade, Beer City
メンバー Spike Cassidy
Kurt Brecht
Rob Rampy
Harald Oimoen

Dirty Rotten Imbeciles(通称:D.R.I.)は、アメリカクロスオーバー・スラッシュバンド1982年に結成され、スイサイダル・テンデンシーズ、C.O.C.、S.O.D.らと共にクロスオーバー・スラッシュなるジャンルの先駆者として活躍し、現代のパンク、メタルシーンにも影響を与えている。また、クロスオーバーというジャンル名そのものも彼らの3rdアルバムである「Crossover」に由来する。

来歴

初期(1982-1986)

1982年5月2日、テキサス州ヒューストンにて結成される。メンバーはSpike Cassidyがギター、Kurt Brechtがボーカル、Eric Brechtがドラム、Dennis Johnsonがベースというラインナップだった。

最初は主にKurtとEricの家で練習を行い(その際彼らの父親があまりの騒音に対して「Dirty Rotten Imbeciles!(汚く腐れきった馬鹿ども)」と怒鳴ったことがバンド名の由来)、結成2ヶ月後に初ライブを行った。同年11月には1stアルバム「The Dirty Rotten EP」をリリースする。

1983年にはサンフランシスコに拠点を移し、車で寝泊まりして生活する。しかし、ベーシストのDennis Johnsonがテキサスに帰るため脱退。バンドは後任としてSebastion Amokを迎えるも、デッド・ケネディーズとのツアー後にまたもベーシストを交代しJosh Pappeがメンバーとして加入する。

1984年にはEP盤の「Violent Pacification」をリリース。夏のツアー後にはドラマーのEricが結婚したために脱退してしまうが、Felix Griffinを後任に迎え入れ活動を続けていく。一方で同じ年には彼らの曲'Snap'が、クラスD.O.A.デッド・ケネディーズ、M.O.D.といった当時のハードコア・パンクやパンクの有名バンドが参加したコンピレーションアルバムに入ることになるという飛躍の年だった。

翌1985年にバンドは2ndアルバム「Dealing With It」をリリースし、ツアーに出る。アルバム制作中にJosh Pappeが一時脱退しMikey Offenderに代わるが、曲を覚える時間がなかったためベースはギタリストのスパイクが弾いている。その後すぐにまたJosh Pappeに戻っている。このアルバムから後の彼らのスタイルとなるハードコア・パンクの中にスラッシュメタルの要素を含んだクロスオーバー・スラッシュの傾向が見られるようになった。

Crossover thrash時代(1987-1996)

1987年彼らは3rdアルバムで代表作となる「Crossover」をリリース。このアルバムは前アルバムよりさらに強力なメタルサウンドを前面に押し出した曲が多くなり、曲構成もより複雑なものとなった。このアルバムによりハードコア・パンクとスラッシュメタルの融合という新たな音楽スタイルの確立に成功した彼らがCrossoverムーブメントの立役者となった。また、ライブに来る客層が拡大し、スキンヘッドのパンクスのみならず、新たにメタル・ファンまでも獲得することになった。その後ツアーに出て同年にはライブ映像も制作している。

ツアー後スタジオに戻ったD.R.I.は1988年2月、4thアルバム「Four Of A Kind」をリリースする。このアルバムも前作の流れを汲んだ形となっている。

ヨーロッパのツアーを続けていた彼らだったが、一旦アメリカに戻った際にボストンのハードコアパンクバンドギャング・グリーンから誘いを受けていたJosh Pappeが脱退し、John Menorに交代することとなった。

1989年バンドは5枚目のアルバムとなる「Thrash Zone」をリリース。まさにその名の通りのスラッシュメタルの要素が多く含まれるアルバムとなっている。なおその後、ドラマーのFelix Griffinが脱退したため現メンバーのRob Rampyに代わっている。

前アルバムからバンドとしては最長の期間の3年を置いて1992年には6thアルバム「Definition」をリリースすると、テスタメントのオープニングアクトを務めたツアーのあとには、単独ツアーも敢行。来日公演も実現させている。そのツアー中にはHollywood Palladiumでもライブを行い、1994年にはその模様を記録した初のライブアルバム「Live」もリリースされている。

ツアー後にまたしてもベーシストのJohn Menorが脱退してしまうが、バンドはChumly Porterを加入し1995年には7thアルバム「Full Speed Ahead」をリリース。2008年現時点ではこれが最後のオリジナルアルバムとなっている。

その後の活動(1997-現在)

その後D.R.I.はアルバム制作には取り掛からず1997年から1998年にかけてヨーロッパから南米までと大規模なワールドツアーを行い、翌年もツアーを続けいていたがツアー後にはベーシストのChumly Porterが脱退し、現メンバーのHarald Oimoenに代わっている。

新作の発表は行わず、ツアーを中心に活動していた彼らだったが、2006年3月にSpikeの体に結腸癌が見つかり活動休止を余儀なくされる。2年に亘る治療とリハビリの結果、2008年に公式ウェブサイト上でSpikeの癌は完治したと公表され、翌年から再び精力的なツアー活動を再開。

2011年はアメリカ、イギリス、ヨーロッパを周り[1]、2012年現在もアメリカ、南米、東南アジアをツアーしている[2]

メンバー

現在のメンバー

  • Spike Cassidy – guitars (1982–現在)
  • Kurt Brecht – vocals (1982–現在)
  • Harald Oimoen – bass guitar (1999–現在)
  • Walter "Monsta" Ryan – drums (2015–present)

元メンバー

  • Dennis Johnson – bass guitar (1982–1983)
  • Sebastion Amok – bass guitar (1983)
  • Josh Pappe – bass guitar (1984–1985, 1985–1989)
  • Mikey Offender – bass guitar (1985)
  • John Menor – bass guitar (1989–1994)
  • Chumly Porter – bass guitar (1994–1999)
  • Eric Brecht – drums (1982–1984)
  • Felix Griffin – drums (1985–1990)
  • Rob Rampy – drums (1990–2014)
  • Brandon Karns – drums (2014)

ディスコグラフィ

スタジオアルバム

その他

  • Violent Pacification (1984, EP)
  • Rat Music for Rat People, Vol. 2 (1984)
  • Live (1994, live)
  • The Dirty Rotten Power (2001, split with Raw Power)
  • Greatest Hits (2001, compilation)
  • Live at CBGB's 1984 (2005, live)
  • But Wait...There's More! (2016, EP)

脚注

外部リンク


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フォッカー Dr.I

(D.R.I. から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/21 21:01 UTC 版)

フォッカー Dr.I

フォッカー Dr.I
ミュンヘンドイツ博物館の展示機

  • 設計者:ラインホルト・プラッツ
  • 製造者フォッカー
  • 運用者ドイツ空軍
  • 初飛行:1917年
  • 運用状況:退役。再生産によるレプリカが現役。

フォッカー Dr.I(Fokker Dr.I、Iはローマ数字の1)は、第一次世界大戦中の1917年に、ドイツ帝国フォッカー社が製作した三枚翼の戦闘機三葉機)である。

かの撃墜王レッドバロン」(赤い男爵)ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェンも愛用していたことで知られる。

概要

マンフレート・フォン・リヒトホーフェンと駐機中のDr.I
Dr.Iの飛行可能なレプリカの例

フォッカー社の技術者ラインホルト・プラッツが、当時開発中であった複葉戦闘機を、イギリスが開発した三葉戦闘機であるソッピース トライプレーンの性能の高さに影響を受けて三葉機に変更したフォッカー V.4英語版から発展したものである。型式名のうち"Dr."の部分は、Dreidecker(三葉機)を意味している。ただし本機は主脚間にも板を渡して四枚目の翼としており、四葉機に近かった。

ドイツ機では非主流派の回転式空冷星型エンジンを採用した。またエンジンのコントロール(補助スロットル)から機銃の射撃(個別、両方の発射)、クーペボタンまでが操縦桿についているため、右手で操作できた。武装はプロペラの回転と同調するMG08重機関銃(7.92 mmシュパンダウ機銃)を機首に2丁装備した。

最初の量産機では、翼の付け根の強度不具合があり、その改修に時間がかかったが、コンパクトで翼のアスペクト比が大きく運動性にすぐれ、やや低速ながらも上昇力に優れた機体であった。実際、ソッピース キャメルより抵抗係数は低い。またラダーの踏み込みによる180度キックターンができる唯一の機体であった。

しかし、分厚い三枚翼により視界が悪く、特に着陸時の機首が上った姿勢では前が全く見えないほどであった。本機が参考としたトライプレーンには、中翼の中央を切り取って視界を確保するなどの工夫が施されていたが、Dr.Iにはそうした視界確保の工夫がほとんど施されていなかった。機首上げ時には主翼の後流尾翼が巻き込まれやすいこともあり、着陸時の事故が続出した。また、前述のように主翼に構造的な欠陥があった。「レッドバロン」こと撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの弟で、兄と同様に撃墜王であったロタール・フォン・リヒトホーフェンによれば、本機での急降下中に「突然、上翼が取れて複葉機になってしまった」ことがあったという(ロタールは何とか生還することができた)。

厚みのある三枚翼(および主脚間の四枚目の翼)は機動性を高めたが、空気抵抗を増加させ、速度は複葉機よりも遅かった。また重心が高く安定性が悪かった。主翼には上反角や後退角がないため、ロール(左右)方向への復原力がない。視界の悪さもあいまって、操縦はそれほど容易ではなかった。生産機数は320機(1917年 - 1918年の間)と少なかった。

格闘戦においてはヴェルナー・フォスと複数のイギリス機による戦いが有名。機動力を生かし、数で劣勢ながらも2機を撃墜している。フォスはわずか21日の間に22機を撃墜する快挙を成し遂げている。またマンフレート・フォン・リヒトホーフェンも赤く塗った本機7機を交替使用するなど愛用したため、名機として名を残した。しかしリヒトホーフェンが撃墜された後の1918年の半ばから連合軍機に対して性能的に後れを取り、徐々に退役し始めた。第一次世界大戦終結時には練習機として残るのみだった。

要目(1918年)

フォッカー Dr.I 三面図
  • 初飛行:1917 年
  • 乗員:1 人
  • 全長:5.77 m
  • 全幅:7.18 m
  • 高さ:2.98 m
  • 総重量:585 kg(自重405 kg)
  • 最大速度:160 km/h(高度2,800 mで)
  • 失速速度:64 km/h
  • 上昇力:2,000 mまで3分45秒
  • 実用上昇限度:6,000 m
  • 飛行時間:1.5 時間
  • エンジン:オーバーウルゼル Ur.II空冷回転星型9気筒110馬力エンジン×1基
  • 武装:lMG08/15シュパンダウ 7.92mm機関銃×2(前方固定)

参考文献

  • 『航空機名鑑 第一次大戦・大戦間編』p.81。コーエー、2001年10月2日発行、ISBN 4-87719-721-4
  • 『萌える!戦闘機図鑑』pp.40-41。関賢太郎、双葉社、2014年6月22日発行、ISBN 978-4-575-30688-0

関連項目

外部リンク


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