Crossover thrash時代とは? わかりやすく解説

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Crossover thrash時代(1987-1996)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/01 14:11 UTC 版)

D.R.I.」の記事における「Crossover thrash時代(1987-1996)」の解説

1987年彼らは3rdアルバム代表作となる「Crossover」をリリース。このアルバムは前アルバムよりさらに強力なメタルサウンドを前面押し出した曲が多くなり、曲構成もより複雑なものとなった。このアルバムによりハードコア・パンクスラッシュメタル融合という新たな音楽スタイル確立成功した彼らがCrossoverムーブメント立役者となったまた、ライブに来る客層拡大しスキンヘッドパンクスのみならず新たにメタル・ファンまでも獲得することになったその後ツアー出て同年にはライブ映像制作している。 ツアースタジオ戻ったD.R.I.1988年2月4thアルバムFour Of A Kind」をリリースする。このアルバム前作流れ汲んだとなっている。 ヨーロッパツアー続けていた彼らだったが、一旦アメリカ戻った際にボストンのハードコアパンクバンドギャング・グリーンから誘い受けていたJosh Pappeが脱退しJohn Menorに交代することとなった1989年バンドは5目のアルバムとなる「Thrash Zone」をリリース。まさにその名の通りスラッシュメタル要素多く含まれるアルバムとなっている。なおその後ドラマーFelix Griffin脱退したため現メンバーRob Rampyに代わっている。 前アルバムからバンドとして最長の期間の3年置いて1992年には6thアルバムDefinition」をリリースすると、テスタメントオープニングアクト務めたツアーあとには単独ツアー敢行来日公演実現させている。そのツアー中にはHollywood Palladiumでもライブ行い1994年にはその模様記録した初のライブアルバムLive」もリリースされている。 ツアー後にまたしてもベーシストJohn Menorが脱退してしまうが、バンドはChumly Porter加入し1995年には7thアルバムFull Speed Ahead」をリリース2008年現時点ではこれが最後オリジナルアルバムとなっている。

※この「Crossover thrash時代(1987-1996)」の解説は、「D.R.I.」の解説の一部です。
「Crossover thrash時代(1987-1996)」を含む「D.R.I.」の記事については、「D.R.I.」の概要を参照ください。

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