A-2飛行ジャケット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:15 UTC 版)
「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の記事における「A-2飛行ジャケット」の解説
第二次世界大戦がはじまった時、陸軍航空隊(USAAC。1941年以降は陸軍航空軍(USAAF)に改組)のパイロットの夏用の飛行ジャケットは1931年に標準服に採用されたA-2飛行ジャケットだった。このジャケットは第二次世界大戦全期を通じてあらゆる戦線で利用され、最も古典的な一着となった。 ダークブラウンの馬革製で、前開きはジッパー、襟元は鉤ホックで留められる。襟は折り襟で襟の裏にはスナップボタンがあり、襟を立てることができた。袖口と裾はニットになっている。左右の腰には蓋つきの貼り付けポケットがある。肩にはショルダーストラップがあり、将校はここに階級章を付ける。エアフォースパッチを肩につけることもあり、部隊のインシグニアを左胸に縫い付けていることが多かった。 A-2ジャケットはパイロットたちに愛用され、飛行時以外にもよく使用された。 パイロットたちの中にはジャケットの背中に凝った絵を描く者もあった。絵は自分の恋人だったり、ピンナップガールだったり、勇ましい戦闘シーンだったり様々である。陸軍は士気を保つため当初こうした絵を黙認してきたが、1943年末頃から監視が厳しくなった。この年の11月26日、B17F爆撃機がドイツ空襲任務中に撃墜され、搭乗員のケネス・ダニエル・ウィリアムズ(Kenneth Daniel Williams)中尉らが捕虜になったが、彼らのA-2飛行ジャケットの背中には「Murder Incorporated」(殺人株式会社)という文字が描かれており、ドイツ当局はこれを「アメリカが故意に住宅地域の爆撃を行い、恐怖を与えることをアメリカ政府が認めているためである」とウィリアムズ中尉の写真付きで公表した。批判の高まりを恐れた陸軍は以降ジャケットの背中の絵の監視を強化したのである。 中国・ビルマ・インド(CBI)作戦地域のパイロットは、中国国民党旗があしらわれた「ブラッドチット(血判状)」をA-2飛行ジャケットの背中に貼り付けることが多かった。ブラッドチットには不時着したアメリカ人パイロットが連合軍側へ逃れることを援助するよう中国語で書かれていた。しかし中国共産党軍の真っただ中に不時着した時はかえって危険な目に遭うことが多かったので、やがて「ブラッドチット」は背中ではなく、ジャケットの内側に縫い付けて隠すようになった。 A-2飛行ジャケット(オレゴン航空宇宙博物館(英語版)の展示物) ブラッドチットを内側に縫い付けたフライング・タイガースのパイロットのA-2飛行ジャケット(左)(台湾国防部フライング・タイガース博物館の展示物) A-2飛行ジャケットを着用するバド・マハリン(英語版)大尉(1943年11月27日)
※この「A-2飛行ジャケット」の解説は、「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の解説の一部です。
「A-2飛行ジャケット」を含む「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の記事については、「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の概要を参照ください。
- A-2飛行ジャケットのページへのリンク