938空とは? わかりやすく解説

第九三八海軍航空隊

(938空 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 06:28 UTC 版)

第九三八海軍航空隊(だい938かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争中盤にソロモン諸島防衛・哨戒に従事した。

沿革

米豪分断の最前線基地としてソロモン諸島の占領をもくろんだ日本海軍は、米軍からガダルカナル島を奪還すべく、多数の航空隊を派遣した。ラバウルより前方に飛行場を持たない海軍は、ブーゲンビル島沖のショートランドを停泊地とし、多数の水上機母艦を進出させた上で近距離哨戒・掃討作戦に就かせた。当初は艦載機を一括運用し「R方面部隊」と称したが、水上機母艦の多くが喪失運送船の穴埋めに転用されたため、現地で母艦から外れた独立航空隊に改められて任務を続行することになった。九三八空は第九五八海軍航空隊に続き、母艦から降ろして編成された水上機部隊である。九三八空は運送船に転籍した国川丸の艦載機隊を主幹とし、定数16機の不足分を水上機母艦籍にとどまった神川丸から補充して開かれた。

昭和18年(1943年)

4月15日 特設水上機母艦国川丸、運送船に転籍。艦載機(零式水上観測機16機) はショートランドに残留し、九三八空を新編。

         第八艦隊附属に転籍。任務上は「R方面部隊」に残留。

6月30日 レンドバ島にアメリカ軍上陸。第六空襲部隊を九五八空などと結成。
7月1日 レンドバ島を偵察。以後、9月まで偵察・銃爆撃に従事。
9月20日 コロンバンガラ島守備隊の撤退に協力。防空哨戒・魚雷艇掃討に従事。
11月1日 ブカ島に撤退。ソロモン諸島の哨戒は継続。

         ベララベラ島への物資投下を5回実施。

10月27日 モノ岬への連合軍上陸部隊を発見、翌日の「ろ号作戦」発動に貢献。
11月12日 第四次ブーゲンビル島沖航空戦に索敵隊として参加(これをもってろ号作戦終了)。

昭和19年(1944年)

1月18日 チョイスル島守備隊の撤退に協力。21日まで防空哨戒・魚雷艇掃討に従事。
2月20日 第二五三海軍航空隊の撤退をもって「ラバウル航空隊」消滅。
3月10日 第十七軍タロキナ攻撃を上空支援。
3月15日 ブインに進出、以後月2回程度のペースでブーゲンビル島周辺の哨戒・ラバウルへの物品輸送に従事。
8月4日 連絡のためトラック環礁へ1機出発。無事往復(九五八空と九三八空のどちらの水偵かは不明)
12月10日 解隊。

装備が払底し、機体を九五八空に譲って解散した。要員は内地帰還ができず、ラバウルにとどまり、12月1日に新編した陸戦隊の「第八五警備隊」に編入されて終戦を迎えた。この八五警はニューギニアフィンシュハーフェンの戦いに参加した初代とはまったく別物の二代目である。

主力機種

歴代司令

  • 寺井邦三(昭和18年4月15日‐)
  • 山田龍八(昭和19年2月25日‐昭和19年12月10日解隊)

参考文献

  • 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
  • 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
  • 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
  • 戦史叢書 南東方面海軍作戦3』(朝雲新聞社 1976年)
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)

関連項目


938空

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美濃部正」の記事における「938空」の解説

1943年10月20日ソロモン諸島方面展開する第938海軍航空隊飛行隊長着任。しかし、着任する予定であったショートランド島はすでにアメリカ軍奪われて、航空隊ショートランド諸島ブカ島撤退していた。ブカ島でも特に成果上げことなく所属機消耗してしまい、陸上アメリカ軍侵攻備え日々続いたが、まともな武器もなく、部下将兵に対して玉砕覚悟悲壮な訓示行っている。しかし、美濃部マラリア感染してしまい、部下残して1944年1月ラバウル野戦病院収容された。マラリア持病となり、この後も度々発症して美濃部悩ませることになった野戦病院では小松島教えた少年航空兵再会したが、その少年航空兵激戦の中で精神病んで戦闘ストレス反応発症しており、野戦病院でも言うことをまったく聞かない匙を投げられるほどの重症であった。しかし、美濃部を見ると「教官もおられたんですか」と話しかけてきて、美濃部見舞い品羊羹をすすめると、少年航空兵にこにこして羊羹をほおばりながら「こいつらは私を気狂いというんですよ」「教官退院できるようにしてください水上機250爆弾20機銃4門をつけて銃爆撃いきたい」と懇願してきた。この精神病んだ少年兵教えられ攻撃方法美濃部強烈な印象与え、のちの芙蓉部隊に繋がる航空機による夜襲作戦ヒントとなった1月末、美濃部退院すると、ブーゲンビル島東端ブインに赴き、所属機零式水上偵察機1機にニュージョージア島アメリカ軍飛行場への夜間爆撃命じたアメリカ軍油断しきっており夜間爆撃成功して美濃部人材豊富な水上機搭乗員零戦搭乗させて、アメリカ軍基地夜襲をかけるべきという、戦闘ストレス反応発症させた教え子からヒント得た戦術自信深めた美濃部はさっそく南東方面艦隊司令部に、美濃部考案した戦術に基づき水上機部隊である第983海軍航空隊零戦配備上申したところ、成功経験に基づく上申であったので、司令長官草鹿任一中将名で水上機部隊零戦配備するという異例発令なされた2月6日204空臨時編入され第二十六航空戦隊司令官酒巻宗孝中将夜襲戦闘機としての夜間訓練申し出る251空夜間戦闘機隊との訓練紹介された。2月17日トラック島空襲により、美濃部部隊配備され零戦5機は全機失われ計画頓挫した2日間に及ぶ猛攻270機の航空機撃破し停泊していた41隻の艦船沈めたアメリカ軍機動部隊猛威美濃部心中深く刻まれアメリカ軍機動部隊への対抗策考えさせる大きな要因にもなった。酒巻中将の手配で、美濃部航空機補充のため日本本土帰国した

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