489系時代の「能登」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:25 UTC 版)
「能登 (列車)」の記事における「489系時代の「能登」」の解説
1993年3月18日のダイヤ改正に伴い、「能登」運行形態を大幅に変更。14系客車での運転を終了し、金沢総合車両所の特急形車両の489系電車に置き換え。エル特急「白山」(上野駅 - 金沢駅)と共通の車両で、同時に寝台車の連結を終了して全車が座席車となり、寝台特急「北陸」との差別化がなされた。これに伴い、車両の管轄がJR東日本からJR西日本へと変更。 このとき廃止した上野駅 - 長野駅間の夜行急行列車「妙高」のダイヤを踏襲し、下り列車の高崎線内の停車駅を追加。上り列車は先発する寝台特急「北陸」よりも上野駅に先着するダイヤとなった。 1994年12月3日:ダイヤ改正に伴い、運行区間が福井駅まで延長される。金沢駅 - 福井駅間はこれまでも臨時列車として運転されることはあったが、同日以降定期列車としての運転となる。 1997年10月1日:北陸新幹線先行開業に伴う信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の廃止により、「能登」が再び上越線経由になる。北陸新幹線の工事中は、上野駅・金沢駅を毎週火曜日に発車する列車は上越線経由(迂回区間は客扱いせず。多客期や高崎駅 - 直江津駅間が水曜日が休日の場合は通常通り信越本線経由)で運行。 1998年8月22日:この日の運行を最後に臨時急行「加賀」が廃止される。 2001年3月3日:運行区間が金沢駅までに短縮。運行区間が寝台特急「北陸」と同一になる。 2002年12月1日:下り列車の高崎線内の停車駅が削減。併せて上野駅発車時刻を30分ほど繰り上げ、ホームライナーなみの通勤客輸送自体は減少。このダイヤ改正までは、下り列車は上越新幹線の最終列車や、高崎線の高崎行最終普通列車より後発となる時刻設定となっていたため、最終列車に乗り遅れた利用者や、着席を望む利用者など別目的で当列車を利用する者も多数存在していたが、利用客のマナーが悪く車掌は苦労していた。その後も定期列車運行終了まで、遅い時間に大宮駅・熊谷駅・高崎駅に下車する乗客の需要も引き続き存在していた。 2004年10月23日 - 2005年3月24日:新潟県中越地震の影響により運休(ただし、2004年12月30日から2005年1月3日までは、年末年始の帰省客のために通常の区間で運転された)。 2005年2月11日 - 3月20日:期間中の金曜日・土曜日と3月20日に出発し、北越急行ほくほく線を経由する臨時列車「能登」91号・92号が運行。 2007年7月16日 - 9月12日:新潟県中越沖地震の影響(信越本線一部区間の運転見合わせ)により運休。 2009年6月1日:全車禁煙となる。
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