47万円の「乗用車」アルトの出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:06 UTC 版)
「軽ボンネットバン」の記事における「47万円の「乗用車」アルトの出現」の解説
軽乗用車の売れ行きが低迷傾向にあった1970年代中期、特に自動車普及の進行が著しかった地方・郊外では、メインとなる1台目の乗用車に加えて、主婦等が軽便な交通機関として利用する2台目の自動車(セカンドカー)の需要が生じていた。 軽自動車メーカーのスズキ(当時は鈴木自動車工業)は、調査の結果「日常で自動車を使用するシチュエーションにおける平均乗車人数は2人未満」と割り出した。そこで当時過剰なデラックス化傾向を辿っていた一般の軽乗用車とは正反対の商品コンセプトを打ち出し、その手段として軽商用車のカテゴリを利用することにした。 当時は前輪駆動方式が軽自動車に本格普及した時期で、ボディスタイルも実用性の高いハッチバック形に収れんしつつあった。このレイアウトであれば、ボンネット形の3ドア乗用モデルと商用モデルは、自動車としての基本骨格をたやすく共通化できた。バンタイプの自動車は商用車としての制約から後席の居住性が悪いが、運転席部分は乗用車同様のスペースを確保でき、前席2人までの乗車ならユーザーにとっては乗用車と何ら変わりがない居住性を得られた。しかも主たるユーザーの女性たちは、規格上の乗用車と商用車の区別にはこだわらないことが、市場調査で判明していた。商用ボンネットバンの先代モデルに当たるフロンテハッチも堅調な売れ行きであり、このジャンルで新たな展開の可能性が見出されたのである。 これらの検討を元に、スズキが1979年(昭和54年)にフロンテの商用モデルとして発売した「アルト」が、ジャンルとしてのいわゆる「軽ボンバン」の最初とされている。 アルトでは5ドアのフロンテと基本構造を共通化しながら3ドアのハッチバックボディを採用、助手席側キーホールやシガーライター、カーラジオ等の装備・装飾は省略して徹底簡素化し、エンジンも当初は簡易な2ストローク3気筒を1981年(昭和56年)まで使用した。実用のみに徹したシンプルなコストダウン設計に加え、物品税非課税も手伝って「定価47万円」という当時では驚異的な低価格を提示できた。「アルト47万円!」と謳った、わかりやすくユーザーの記憶に残る即物的なテレビコマーシャルは注目を集め、発売後1か月足らずで1万8000台以上のオーダーを得て、当時のベストセラーとなった。
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