1964年以前
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「平城・相楽ニュータウン」の記事における「1964年以前」の解説
1962年(昭和37年)以前 開発以前 - 平城山丘陵、生駒郡、奈良市、相楽村、木津町、精華町を参照。 1950年(昭和25年)10月21日 - 奈良国際文化観光都市建設法が成立。 1951年(昭和26年)3月15日 - 一部が現在の平城地区に当たる生駒郡平城村が、奈良市と合併。 1951年(昭和26年)4月1日 - 一部が現在の相楽地区に当たる相楽村が木津町と合併。 1951年(昭和26年)4月1日 - 一部が現在の相楽地区に当たる山田荘村が川西村と合併し、精華村が誕生。 1953年(昭和28年)4月29日 - 農業用水路工事中に窯1基を確認。 1953年(昭和28年)4月29日 - 京都府教育委員会の委嘱を受けた京都大学梅原末治博士がロストル式の平窯(音如ヶ谷瓦窯跡1号窯)を発掘。このときに出土した瓦の一部は木津町教育委員会が保管。 1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併促進法に基づき、精華村が町政を施行し、精華町となる。 1960年(昭和35年)-1965年(昭和40年)- 近畿日本鉄道が平城山丘陵の用地を買収。その後、近畿日本鉄道は150万m2を平城ニュータウンの用地として日本住宅公団に譲渡。 1963年(昭和38年) 日本住宅公団が、平城ニュータウン建設計画の妥当性の検討を専門家に依頼。 4月30日 - 京阪電気鉄道が奈良市歌姫町の土地の一部を買収。 1964年(昭和39年) 7月 - 日本住宅公団においてマスタープランの準備段階に入る。 日本住宅公団が京都大学有光教一教授に依頼し、宅地開発に関する委託研究「文化財GENERAL SURVEYと開発と保存に関する一般的RULEについて」を開始。 12月20日-1965年(昭和40年)3月31日 - 京都大学考古学研究会・立命館大学考古学研究会を含む150人の調査員が平城ニュータウン予定地内で文化財分布調査を行い、すでに確認されていた3か所に加え、新たに13か所の遺跡を確認し、遺物も28地点で採取。
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