1964年オフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:17 UTC 版)
「フリーエージェント (日本プロ野球)」の記事における「1964年オフ」の解説
金田正一 国鉄スワローズ→読売ジャイアンツ田宮の一件以後規約が一部改正され、「A級10年権利でボーナスを得た場合、3年後の再取得時にはB級となるが移籍権利は残る。ただし、移籍交渉の順番はシーズンの順位によるウェイバー方式。交渉拒否は2度まで」とされた。金田は1959年にA級10年選手の権利を行使してボーナスを貰っており、1963年にB級10年選手として移籍権利を含めて再取得した。この年は行使せず保留して迎えた1964年シーズンオフ、国鉄がサンケイに対して正式に球団を譲渡することが決定した(1962年には、既にサンケイが球団経営の主導権を握る形で業務提携していた)ため、金田は前年保留したB級選手制度の移籍権利を行使した。この年の順位は下から中日、国鉄、広島、巨人、大洋、阪神であり、金田は拒否権を2度使って巨人へ移籍した。
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