1955-1957
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「ハドソン・ホーネット」の記事における「1955-1957」の解説
ホーネット最後の3年間は、ハドソンの合併でアメリカンモーターズコーポレーション(AMC)の製品として販売された。1954年以降、ハドソンのデトロイト製造施設は閉鎖され、ハドソンモデルの製造はナッシュのウィスコンシン工場に移された。製造合理化が図られ、ハドソンはすべてナッシュの上級モデルをベースにハドソン独自の外装を与えたものになった。 1950年代中期近くになると、ノッチバック型の3ボックススタイルが市場の主流を占めるようになり、AMCもまたそのトレンドに従わざるを得なくなった。1955年にはハドソンは保守的なスタイルの自動車となった。クーペ、セダン、ハードトップが作られた。コンバーチブルはなくなった。特筆すべきは、初めてホーネットにV8エンジンが搭載されたことであったが、この時代のアメリカ製中級車でのV8エンジン普及状況を考えれば、遅きに失した。 1956年式ではホーネットにより特徴づけが図られ、デザイナーのリチャード・アービブ(Richard Arbib)にそのリデザインが託された。ホーネットとワスプは1950年代を特徴づけるデザインともいえるVラインスタイリング("V-Line Styling")を作り出した。ハドソンの伝統的な三角をモチーフとして、V字型を車外車内のいたるところに使った。当時のトレンドのツートーンカラーを更に尖鋭化した三色配色とも組み合わせされて、ハドソン車はその独特の外観で注目を集めた。しかし販売は伸びず、1956年の実績は前年の13130台から8152台へと下落した。 1957年では、歴史あるハドソンの車名はホーネットのスーパー(Super)とカスタム(Custom)への使用に限定された。4ドアセダンと2ドア「ハリウッド」ハードトップがあった。2年目のVラインスタイリングは横に大きく広がった格子状グリル「エッグクレートグリル(egg-crate grille)」となり、折り目状のクロームストライプがボディサイドに設けられた。カスタムモデルには5つの三色配色が使われた。飾りが多く使われた。丸みを帯びたリアクオーターパネル上のフェンダー"finettes"や、フロントフェンダーの上につけられた風変わりなツインフィン(twin-fin)はその代表的なものである。価格は安くなり、出力は高くなった。エンジンはAMCの新型327 cu in (5.36 L)で4バレルキャブレターとデュアルエグゾーストで255 hp (190 kW)を出力した。販売台数は3108台でしかなかった。 1957年7月25日でホーネット生産は終了した。この時点でハドソンブランドは終了し、AMCは以降、ランブラーだけを生産した。
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