1929年の連続殺人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 01:26 UTC 版)
「ペーター・キュルテン」の記事における「1929年の連続殺人」の解説
1929年2月8日、キュルテンは8歳の少女を強姦し殺害する。同年2月13日深夜、泥酔してキュルテンに絡んできた45歳の機械工を刺殺する。刺し傷は頭部を含め20箇所に及んだ。獣性を満たされたせいか、以後は誰も襲わなかったが、行きずりの女との荒々しいセックスに没頭していた。 やがてセックスでは満たされなくなり、半年後の8月に凶行を再開。8月21日には別々の場所で3人を刺し、23日には5歳と14歳の姉妹を殺害。翌24日にもある女性を襲撃し強姦した。気丈な彼女は「あんたと寝るぐらいなら死んだ方がマシよ!」と喰ってかかり、喜んだキュルテンは「じゃあ死ね」と数十回もナイフを振り下ろした。彼女は奇跡的に一命を取り留め、警察にキュルテンの人相を話しているが、不正確だったためか逮捕には至らなかった。同年9月には1件の強姦と殺人を、10月には2人の女性をハンマーで襲っている。この時点でデュッセルドルフは完全なパニック状態と化していた。キュルテンは食堂で働く妻を毎晩のように迎えに行き、「僕が迎えに来るまではここにいなさい」と注意している。同年11月7日、5歳の少女を殺害。当時購読していたドイツ共産党の機関紙編集部に彼女を埋めた場所の地図を送りつけたりもしている。犠牲者と方法が様々あることから、警察は2人以上の犯人がいるのではないかと仮定した。また90万以上もの人々が捜査線上に浮上した。 1929年11月の殺人がキュルテンの最後のそれとなる。とは言うものの1930年2月から3月にかけても多くの人がハンマーで襲われている。 1930年5月のある日、キュルテンはデュッセルドルフ駅構内で、不良青年に絡まれていた少女に声をかけて助け出すと、自宅でお茶を飲まないかと誘いしばらく歓談した後、宿泊先のホテルへ送る途中のグラーフェンベルクの森(ドイツ語版)で少女を強姦したが、この時キュルテンは「俺の家を覚えているか?」と問い、少女が覚えていないと返答したところ彼女を生かしたまま解放し立ち去った。故郷へ帰った少女は友人に一連の出来事を綴った手紙を送ったが、宛名が間違っていたため配達できず郵便局でしばらく留め置かれた後規定に基づき開封された。郵便局からの通報を受けた警察は少女の居場所を突き止め、彼女にキュルテンの自宅を案内させた。 そのことを知ったキュルテンは、妻に今まで行った犯罪を告白し今まで妻を欺いたことに対する償いとして、警察へ通報して自分に掛けられた高額の褒賞金を受け取り老後の蓄えにするように促す。そして3月24日、妻の通報を受けた警察に逮捕された。
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