エルザ (小惑星)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 04:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動エルザ 182 Elsa | |
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分類 | 小惑星 |
軌道の種類 | 小惑星帯 |
発見 | |
発見日 | 1878年2月7日 |
発見者 | ヨハン・パリサ |
軌道要素と性質 元期:2007年4月10日 (JD 2,454,200.5) | |
軌道長半径 (a) | 2.418 AU |
近日点距離 (q) | 1.971 AU |
遠日点距離 (Q) | 2.865 AU |
離心率 (e) | 0.185 |
公転周期 (P) | 3.76 年 |
軌道傾斜角 (i) | 2.00 度 |
近日点引数 (ω) | 310.12 度 |
昇交点黄経 (Ω) | 107.26 度 |
平均近点角 (M) | 208.43 度 |
物理的性質 | |
直径 | 43.68 km |
自転周期 | 80 時間 |
スペクトル分類 | S |
絶対等級 (H) | 9.12 |
アルベド(反射能) | 0.2083 |
色指数 (B-V) | 0.862 |
色指数 (U-B) | 0.425 |
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エルザ[1] (182 Elsa) は、小惑星帯に位置するS型小惑星の一つ。
1878年2月7日にオーストリアの天文学者、ヨハン・パリサが発見した。リヒャルト・ワーグナーのオペラ『ローエングリン』の登場人物から名付けられたと言われているが、はっきりとは分かっていない。
自転の周期はかなりゆっくりで、この小惑星の「一日」は地球では3.3日に当たる。この自転の遅さから、伴星の存在する可能性が指摘されている。また光度曲線は起伏が激しく、いびつな形をしていると見られている。
エルザは、1993年にアマチュア天文家にもハッブル宇宙望遠鏡を開放して行われたトランジッション・コメッツ(小惑星の水酸基放射の紫外線観測)の対象となった五つの小惑星の一つである。
出典
- ^ “全世界の観測成果 ver.2 (Excel)”. 薩摩川内市せんだい宇宙館 (2018年3月3日). 2019年3月11日閲覧。
関連項目
外部リンク
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「182 Elsa」の例文・使い方・用例・文例
- (在位 1760‐1820).
- (在位1820‐30).
- ギリシア独立戦争の決定的な海戦(1827年)
- ギリシャ人は1821年にトルコ支配に対して反逆した
- 米国の奴隷制度支持派と奴隷制度反対派の間の1820年の合意で、新しい地域への奴隷制度の拡張に関するもの
- ローマカトリック教会の旧裁判所(1232年−1820年)で、異教を発見して抑圧するために創設された
- ノルウェーの数学者(1802年−1829年)
- 米国の第2代大統領(1735年−1826年)
- ロシアの皇帝で、ロシアの政府を自由化する計画がナポレオンとの戦争のため実現されてなかった(1777年−1825年)
- 米国の婦人参政権論者(1820年−1906年)
- 英国の詩人で文芸批評家(1822年−1888年)
- 英国の植物学者で、太平洋への最初の航海でキャブテン・クックに同伴した(1743年−1820年)
- 米国の出版者、編集者で、身近な引用集を編集した(1820年−1905年)
- フランスの詩人で、不気味なイメージと何かを刺激的な文体で知られる(1821年−1867年)
- 幻想的な英国の詩人で画家(1757年−1827年)
- (1734―1820)アメリカの開拓者で案内者で探検家
- 英国の編集者で、1818年にシェークスピアの作品の削除修正版を発行した(1754年−1825年)
- オーストラリアのオルガン奏者で、ロマンチックな音楽の作曲家(1824年−1896年)
- アメリカ南北戦争における米国の将軍で、フレデリックスバーグの戦いでロバート・E・リーに敗れた(1824年−1881年)
- 英国の探検家で、ジョン・スピークとともにタンガニーカ湖を探検した最初のヨーロッパ人(1821年−1890年)
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