1回目のベイルアウト通報からの20秒間について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:39 UTC 版)
「T-33A入間川墜落事故」の記事における「1回目のベイルアウト通報からの20秒間について」の解説
事故機にはコックピットボイスレコーダーが搭載されていなかったため交信記録以外の機内の会話等は記録されていないが、報道では、住宅地を避けようとして飛行を続けた結果、脱出が遅れたと推測している。 また、自衛隊における教育内容・事故の目撃証言に加えて、以下の状況証拠から二佐および三佐は近隣住民への被害を避けるべく限界まで脱出しなかったことがほぼ確実視される。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}上記交信記録でも確認されるとおり、事故機は当初入間基地への着陸を企図して滑走路進入ポイントに向けて飛行していたが、墜落の30秒前あたりから事態が急速に悪化して帰投が絶望的となり、飛行可能な距離及び時間が僅かしか残されていなかったこと。かつ、経験豊富な両パイロットがそれを十分認識しうること[要出典]。 1回目のベイルアウト通報が出された13時42分14秒時点では、T-33Aの射出座席に「ゼロ・ゼロ射出」の能力がないことを加味してもパイロットの生還は可能であったといわれるが、両パイロットはその後約20秒に亘り機内に留まっていること[要出典]。 航空事故調査委員会も以下の点から、事故機操縦者は脱出によってコントロールを失った航空機が民家等に被害を与える可能性の局限を図ろうとしたと推定している。 緊急脱出は、13時42分14秒及び同27秒に通報されたが、この時点では、事故機は住宅密集地上空を飛行していたこと。 事故機操縦者は、その時点で脱出することなく、入間川河川敷に接近するまで操縦を継続し、送電線接触直前の13時42分35秒前後に脱出したこと。 また、両パイロットが脱出不可能な段階になってからも脱出装置を作動させたことについては、脱出装置を担当した整備士が責任を感じないようにした配慮ではないかという見方もある。
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