黒羽織党の評価と幕末の加賀藩とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 黒羽織党の評価と幕末の加賀藩の意味・解説 

黒羽織党の評価と幕末の加賀藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 16:43 UTC 版)

黒羽織党」の記事における「黒羽織党の評価と幕末の加賀藩」の解説

黒羽織党による一連の改革は、「秋霜烈日綱紀粛正と、けちくさい消極主義終止した(若林喜三郎)」「商品経済進展勃興した在郷商人層を組み入れ、藩権力のもとに統制掌握しようとした革新性水島茂)」「黒羽織党革新性は、国産奨励流通統制など、産業政策において上田作之丞が説く藩営論を実行しようとした点にある(『金沢市史』)」など、論者によって評価大きく分かれる。これには黒羽織党信奉し実践した上田作之丞の藩営論という重商主義的な政策をどう評価するかにも関わっている。奥村栄実以前横山隆章による政治生産力増強一辺倒遅れた重農主義見れば、藩という公権力産業多角化育成流通管理乗り出した黒羽織党改革は、十分に新規性帯びたものと見なせる(実際同時期に行われた長州藩村田清風薩摩藩調所広郷といった藩政改革成功例においても、藩権力による域内産業育成重点置いていた)。しかし、近代的な自由貿易主義立場から見れば貿易黒字最大化(=赤字最小化)を主眼に置き、(地方政府公的権力産業保護し流通にまで関わることは、非効率脆弱産業温存することによる無駄なコスト生じさせるとともに貿易障壁高くし、民間資本健全な育成阻害する守旧的な指向見える。実際に黒羽織党銭屋五兵衛はじめとする豪商らを排除したことから、銭五などに近代的な民間資本萌芽見出す立場からは、守旧反動的な政権と写る。 実際新田開発株仲間解散などの政策においては奥村上田黒羽織党との間では大し違いがなく、領内物産確保などの消極性も同様である。結局のところ、黒羽織党政権最大特徴はその党派性排他性にあった加賀藩では黒羽織党以前以後も、寺島蔵人奥村栄実横山隆章などの党派権力争い繰り広げて他者排斥し互いに改革の足を引っ張ったため、いずれも中途半端に終わっている。黒羽織党による改革も、第一期・第二期ともに短期間崩壊したため、十分な成果上げことなく終了した結果として加賀藩は、同時期に改革行い得た他の有力藩に続くことができず、藩の総力体制を築くことに失敗する全国随一石高を誇る大藩ありながら開国後政情不安に翻弄され時局主導する役割を果たすことが出来ず幕末混乱する政局の中で勇躍する西南雄藩後塵を拝することとなったのである

※この「黒羽織党の評価と幕末の加賀藩」の解説は、「黒羽織党」の解説の一部です。
「黒羽織党の評価と幕末の加賀藩」を含む「黒羽織党」の記事については、「黒羽織党」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「黒羽織党の評価と幕末の加賀藩」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黒羽織党の評価と幕末の加賀藩」の関連用語

1
10% |||||

黒羽織党の評価と幕末の加賀藩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黒羽織党の評価と幕末の加賀藩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの黒羽織党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS