馬蝗絆とは? わかりやすく解説

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馬蝗絆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/11 02:01 UTC 版)

『青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆』
製作年 13世紀
種類 青磁
寸法 6.7 cm (2.6 in); 15.4 cm diameter (6.1 in)
所蔵 東京国立博物館
登録 重要文化財
ウェブサイト https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=TG2354

馬蝗絆(ばこうはん)は、東京国立博物館に収蔵されている中国南宋代の青磁茶碗につけられた銘。「馬蝗絆」の銘は、ひび割れを修繕する際に打たれた(かすがい)があたかも蝗(イナゴ)のように見えることに由来するとされる。足利義政の所蔵品(東山御物)であったとされ、重要文化財に指定されている[1][2]唐物名物の中でも特に古い由緒を伝える茶道具とされる。

概要

内側。

低く小さめの高台を有し、口縁に6箇所の切込みを入れて六輪花形とした碗である[3]。胴に轆轤の跡が残り、焼き歪みによって傾いでいる[4]。灰白色の磁胎に比較的薄く青磁釉をかけ、同種の青磁碗の中でも形姿・釉調において特にすぐれたものである[3][4]

口縁から底を1周する形でヒビが入っており、6つの鎹で留められているのが外見上の特徴である[3][4]。鎹は[3]。ヒビの原因は冷えた茶碗に熱湯を注いだことによると考えられている[4]

高6.7センチメートル、口径15.4センチメートル、高台径4.6センチメートル[4]、重さ290グラム[1]

現在の中国浙江省南西部の龍泉窯中国語版で、南宋時代の13世紀に焼かれたと考えられている[4]

伝承では平重盛の時に日本に渡来し、足利義政が珍重したとされるが、その由来には疑問も呈されている(後述)。

江戸時代には角倉了以で知られる京都の豪商・角倉家の所蔵となっており、大正時代には三井高保の所蔵として『大正名器鑑』に紹介された[5]1970年昭和45年)に三井高大・姿子夫妻が東京国立博物館に寄贈した[5]。1970年(昭和45年)5月25日重要文化財指定[3]

歴史

伊藤東涯による『馬蝗絆茶甌記』冒頭。

東京国立博物館に本品とともに収蔵されている伊藤東涯による享保12年(1727年)『馬蝗絆茶甌記』に見える伝来は、次のようなものである[6]

  • 安元1175年 - 1177年)の初め、平重盛が杭州阿育王寺に金を喜捨し、住持仏照は礼としていくつかの器物を重盛に贈ったが、その中に青窯茶甌が一つ含まれていた。翠光瑩徹、世にまれに見るところである。陸亀蒙が詩で「九秋風露越窯中国語版開き、千峯の翠色を奪い得て来たり」と詠んだのや、銭氏の国(呉越)があったころ、越州で焼進し臣庶が用いることを許さなかったため「秘色」といったのがまさにこれであろう。相伝して「砧手」と呼ばれた。足利義政がこれを得て珍重したが、底にヒビがあったので、に送って代わりのものを求めたところ、明人は鉄釘6つを用いてこれを留めて送り返してきた。絆すること馬蝗の如しで、かえって趣があったことから「馬蝗絆茶甌」と号した。義政はこれを(吉田)宗臨に与え、宗臨の9世孫・(角倉)玄懐の家で予(東涯)は拝見した。

考証

容器として附属する曲物。

上掲『馬蝗絆茶甌記』は、馬蝗絆の伝来について記録した最古の文献であるだけでなく、馬蝗絆について言及した最古の史料でもあることから、その内容には検討を要する[6][5]。なお、永禄6年(1563年)ごろの茶湯道具の評価を記した『往古道具値段付』に「角倉茶碗 青磁瑞斗五ツ刻ミ入ル、此吉、前ハ萬疋、今ハ二萬疋ト也」とあるのがこの茶碗の可能性もあるが、馬蝗絆の口縁の切込みは6つであり記述とは異なっている[5]

まず、平重盛による阿育王寺への布施は『平家物語』巻3「金渡」に見える逸話である。しかし馬蝗絆は13世紀の作とみられることから、平重盛の時代の伝来はあり得ない[5]。『後鑑文安2年(1445年)3月条末尾には重盛による布施の際「拙庵徳光墨蹟(金渡墨蹟)」(重要文化財、鹿苑寺蔵)が贈られたとあることから、東涯はこの由来を援用して記述を行ったものと考えられる[7]。また陸亀蒙の詩と銭氏の国の逸話は元の陶宗儀の随筆『南村輟耕録』の記述を参照したものと認められる[7]

茶碗を納める容器は内側に繻子の貼られた黒塗りの被せ蓋の曲物で、茶道具としては特殊である[5]。この容器は中国製とみられ、そうすると貿易品として大量に日本に輸入されたものではなく、専用の容器を中国であつらえて特別な品として持ち込まれたものであると考えられる[5]

享保20年(1735年)2月2日、前年から京都に滞在していた薩摩藩御用絵師・木村探元は角倉家で他の名品とともに馬蝗絆を見て日記にその図を残すとともに、東涯の記述と同様の伝来を記録している[8]

上記文献では茶器としての言及はなされておらず、『大正名器鑑』がこの茶碗を茶の湯の文脈で評価した最初の記録となる[9]。幕末には仁阿弥道八(2代高橋道八)と3代高橋道八によってこの茶碗の写しが焼かれている(東京国立博物館に3点所蔵)[5]

「馬蝗」について

「馬蝗絆」の銘の由来となった鎹による補修の状態。

『馬蝗絆茶甌記』では「絆如馬蝗」であったことから「馬蝗絆」の名がついたと記述されているが、この由来の解釈には揺らぎがある。

現在最もよく知られている説は、「馬蝗」を昆虫イナゴと解釈する説である[3][1][2]。「馬の尾にとまる大きな蝗」と説明されることもある[10]

これに対し「馬蝗」とはヒルを指すという見解がある。中国語で「蝗」は確かにバッタやイナゴを指すが、「螞蟥(馬蟥/馬蝗)」はヒルを意味するからである[11]。例えば、宋代の馬和之中国語版の「古木流泉」(台湾故宮博物院蔵)はその描線がヒルに似ていることから「馬蝗描」と呼ばれたという[12]。馬蝗より螞蟥と記されることの方が多いため、これを理解している近年の学術論文では、東涯の『馬蝗絆茶甌記』を紹介する時に、「螞蟥のようなので、日本人は“馬蝗絆”とよんだ」と説明するものがある[13]。東涯が鉄釘をみて思い浮かべたのは、ヒルであろう[11][14]。岩田澄子は、元代の楊顕之『酷寒亭』において「ぴったりくっついて離れない」という比喩として使われている[15]ことから、茶碗のひび割れを鎹によってぴったり接合している様子がヒルを連想させたと推測している[11]

また、中国で鎹のことを「馬蝗絆」と呼んでいたからこの名がついたという見解もある[16]。『馬蝗絆茶甌記』よりも早くに成立した『東雅』で新井白石は、鎹について「此物はに馬蝗絆といふものゝ類なり」と述べている[17]金原省吾は、ヒルが頭と尻で吸い付くことから、コの字形の鎹に中国で「馬蝗絆」という言葉が使われていたので日本でもこの呼称を茶碗に採用したのだとしている[18]

同名の茶碗

マスプロ美術館にも同じく「馬蝗絆」の銘を持つよく似た茶碗が収蔵されている[11][19][20]。高6.5センチメートル、口径15.4センチメートル、南宋時代13世紀龍泉窯の作で六輪花形で寸法もほぼ同一だが、こちらの茶碗に歪みはない[19]。口縁から2本のヒビが入っており、そのうち1本を3つの鎹で留め、口縁に金繕いもある[19]

こちらは『茶具備討集』や『清玩名物記』などに見え、16世紀には「鎹」という名前で名碗として知られていたとみられる[19]。『茶道正伝集』では曲直瀬道三、のち織田有楽斎が所持したという[16][19]。『正伝永源院文書』 に有楽斎の死後、慶安4年(1651年三五郎長好の時に水野権兵衛忠増へ形見分けされたとある[19]。近代には大阪の平瀬家に伝わった[19]。なお『茶道正伝集』では「鎹茶碗と云て名物茶筅置有」と記述されている[16][19]

この茶碗には東博所蔵「馬蝗絆」の幕末に焼かれた写しの茶碗が1口添えられており、『室町殿行幸御飾記』に「御茶碗二 白 大小」「御茶碗二 青 あおしよう入」などの記述があることから、2つの茶碗が対で日本に伝来した可能性も指摘されている[19]

鎹継ぎ

鎹継ぎによる修復

鎹継ぎ(かすがいつぎ、中国語: 锔瓷)とは、陶磁器の割れ目の両側に穴を掘り、金属製の鎹(かすがい)によって両側をつなぎ留める修繕技法である[21]

中国では、锔瓷以外にも「钉钉」[22]あるいは「骨路」[23]など様々な呼び名がある。

中国の明時代には確立されていたとされる[24]が、同様の技術は古代ギリシアの修復技術英語版にも見られる。

日本においても、鎹継ぎ[21][25][26]、鎹止め[27][28]、鎹直し[29][30]などの多くの名称が見られる。

日本に伝世した鎹で留められた陶磁器には、上に述べた「馬蝗絆」の銘を持つ2つの青磁茶碗のほかに、鹿苑寺が所蔵する青磁茶碗「雨龍」がある[31]。出土品では一乗谷朝倉氏遺跡から鎹留めを施した青磁瓶の破片が見つかっている[31]。また東京国立博物館にも鎹留めの痕跡が残る陶磁器が収蔵されており、日本においても昭和の初めごろまで頻繁に行われた修理法であったとも言われる[31]

出典

  1. ^ a b c 青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2025年9月11日閲覧。
  2. ^ a b 東京国立博物館 -トーハク-. “東京国立博物館”. www.tnm.jp. 2025年9月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 「重要文化財」編纂委員会 編『解説版 新指定重要文化財』 5巻《工芸品Ⅱ》、毎日新聞社、1983年3月30日、157頁。doi:10.11501/12418263 (要登録)
  4. ^ a b c d e f 三笠 2022, pp. 319–322.
  5. ^ a b c d e f g h 三笠 2022, pp. 322–328.
  6. ^ a b 中本 2022, pp. 247–249.
  7. ^ a b 中本 2022, pp. 249–254.
  8. ^ 中本 2022, pp. 254–260.
  9. ^ 三笠 2022, pp. 318–319.
  10. ^ 東京国立博物館 編『室町時代の美術 : 特別展図録』東京国立博物館、1992年3月31日、353頁。doi:10.11501/12653447 (要登録)
  11. ^ a b c d 岩田澄子「青磁茶碗・馬蝗絆の語義について」”. 茶の湯文化学会会報75号 . pp. 4-7 (2012年12月18日). 2025年9月11日閲覧。
  12. ^ 宋 馬和之 古木流泉”. 国立故宮博物院. 2025年9月11日閲覧。
  13. ^ 程忻怡 (2023年5月). “金缮工艺在当代首饰艺术中的应用研究”. 北京工業大学 碩士学位論文 (北京工業大学): p10. 
  14. ^ 岩田澄子『天目茶碗と日中茶文化研究』宮帯出版社、2016年、350-359頁。 
  15. ^ 『酷寒亭』(鄭孔目風雪酷寒亭) 
  16. ^ a b c 大正名器鑑 第6編』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  17. ^ 東雅 : 20巻目1巻 2(巻之6-11)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  18. ^ 金原省吾『絵画に於ける線の研究』 上(改訂新版)、金原博士線の研究刊行会、1961年6月12日、162-163頁。doi:10.11501/2497113 (要登録)
  19. ^ a b c d e f g h i 三笠 2022, pp. 339–346.
  20. ^ 青磁輪花茶碗 鎹(馬蝗絆 ばこうはん) | 展示作品”. マスプロ美術館|マスプロ電工. 2025年9月11日閲覧。
  21. ^ a b 井口海仙 編『茶道用語辞典』(4版)淡交社、1955年5月30日、47頁。doi:10.11501/2481233 (要登録)
  22. ^ 太平御览·杂物部二》:「楊龍驤《洛陽記》曰:石牛一頭,在城西北九重里。耆舊傳說:往者石虎當襄國,石牛夜喚,聲三十里。事奏虎,虎遣人打落牛兩耳及尾,以鐵釘釘四腳,今現存。」
  23. ^ 老學庵續筆記》:「市井中有補治故銅鐵器者,謂之『骨路』,莫曉何義。《春秋正義》曰:『《說文》云:「錮,塞也。」鐵器穿穴者,鑄鐵以塞之,使不漏。禁人使不得仕宦,其事亦似之,謂之禁錮。』余案:『骨路』正是『錮』字反語。」
  24. ^ 神戸新聞NEXT|連載・特集|骨董漫遊|【38】鎹(かすがい) その一 「馬蝗絆(ばこうはん)」の修理法に迫る”. www.kobe-np.co.jp. 2025年9月11日閲覧。
  25. ^ 矢部良明『角川日本陶磁大辞典』 出版社:角川書店 発行年:2002年 p.284
  26. ^ 加藤唐九郎『原色陶器大辞典』 出版社:淡交社 発行年:1990年 p.185
  27. ^ 『古今東西陶磁器の修理うけおいます』甲斐 美都里/著 中央公論新社 2002年 p.30
  28. ^ 学芸の小部屋 -戸栗美術館-”. www.toguri-museum.or.jp. 2025年9月11日閲覧。
  29. ^ 【39】鎹(かすがい) その二 愛着の器を直して使う文化” (Japanese). 神戸新聞NEXT (2021年6月7日). 2025年9月11日閲覧。
  30. ^ 【38】鎹(かすがい) その一 「馬蝗絆(ばこうはん)」の修理法に迫る” (Japanese). 神戸新聞NEXT (2021年5月31日). 2025年9月11日閲覧。
  31. ^ a b c 三笠 2022, pp. 328–333.

参考文献

  • 中本大「二次創作された東山文化の「和漢」―享保年間の「馬蝗絆」をめぐって」『茶の湯の歴史を問い直す―作られた伝説から真実へ』筑摩書房、2022年11月20日、245-272頁。ISBN 978-4-480-86138-2 
  • 三笠景子「茶の湯を創った青磁茶碗」『茶の湯の歴史を問い直す―創られた伝説から真実へ』筑摩書房、2022年11月20日、245-272頁。 ISBN 978-4-480-86138-2 

関連項目

  • 金継ぎ
  • 古代ギリシャ陶器の保存と修復英語版 - 古代においては、銅、鉛、青銅などの金属の鎹や膠などの接着剤による修復が行われていた。別の器から修理用の破片を流用することもあった。
  • セラミック製品の保存と修復英語版

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