青空球児好児とは? わかりやすく解説

青空球児・好児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 05:14 UTC 版)

青空球児・好児(あおぞら きゅうじ・こうじ)は、漫才協会所属の漫才コンビ。青空一門。元ホリプロ所属。

1965年に結成。1973年に第21回NHK新人漫才コンクール優勝。1979年に漫才協団(現:漫才協会)真打昇進。

故郷を紹介するネタ(ぼくの故郷)での「ゲロゲ~ロ」のギャグ、逆さ漫才(君の名は、むっつり右門捕物帖)、国定忠治などで有名。漫才をするときはセンターマイクを使わない。最後のお笑い第一世代と呼ばれ、現役の漫才師で最も古いコンビ。

メンバー

  • 青空 球児(本名:下地 康夫[1](しもじ やすお) (1941-08-17) 1941年8月17日(83歳)[1] - )
神奈川県横浜市鶴見区出身。ボケ担当。現職は一般社団法人漫才協会名誉会長。漫才協会第6代会長を歴任した。高輪商業(高輪中学校・高等学校)卒。
ゲロゲ~ロ」のギャグで有名。
高校卒業後、アメリカンボトラーズ(現コカコーラ)で働く。森川信の芸能学校の出身。コロムビア・トップに師事するが、1960年に浅草公園六区の「東洋劇場」でコメディアンの修行を始める。「トリオ・ザ・パンチ」、「ナンセンストリオ」、「トリオスカイライン」のそれぞれの初代メンバーを経て、漫才コンビを結成。現在の好児とコンビを組み直した後人気が出た。なお、コロムビア・トップ死去時の葬儀委員長も務めた。
なお、両親が沖縄、父は宮古出身であることを公表している[2]
  • 青空 好児(本名:谷田部 政視[1](やたべ まさのり) (1943-10-02) 1943年10月2日(81歳)[1] - )
東京都三鷹市出身、ツッコミ担当。通称は「ルパン」。中野電波高等学校卒。現職は一般社団法人漫才協会専務理事、世田谷区議会議員(6期)。
「トリオ・ハッスル」(メンバーは青空球児と好児ともう一人)で石原裕次郎、舟木一夫などの歌謡ショーに出演していた。
父親が戦死している為、父親には会ったことがない。
世田谷区PTA会長を5年間務め、1998年に世田谷区立中PTA会長としての活動で区の給食職員の人件費を年間4億円削減するなどの成果を上げる。
漫才中は球児のことをリーダーと呼ぶ。例、「さすがリーダー」「そりゃないよリーダー」

政治家(青空こうじ)

青空 こうじ
あおぞら こうじ
生年月日 (1943-10-02) 1943年10月2日(81歳)
出生地 日本東京都三鷹市
出身校 中野電波高等学校
前職 漫才師
現職 世田谷区議会議員
所属政党 無所属
公式サイト 世田谷区議会議員 青空こうじ
当選回数 6回
在任期間 2003年5月1日 - 現職
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  • 青空 こうじ(本名:谷田部 政視[1](やたべ まさのり) (1943-10-02) 1943年10月2日(81歳)[1] - )
2003年世田谷区議会議員(定数52)に立候補し初当選(5538票、72名中4位)。無所属2007年、再選(5151票、71名中11位)。2011年、3選(4268票、82名中21位)。2015年、4選(3724票、82名中34位)。2019年、5選(4177票、75名中35位)。2023年、6選(3770票、75名中47位)。

エピソード

  • 球児が組んでいたコンビの相方(青空球児・場児の場児)と呑み屋で喧嘩別れし、その時たまたま一緒に居た好児に「明日、ヒマか?」と誘いをかけ、そのまま翌日の仕事からコンビを組んだと云う[3]
  • 2022年3月発売のFLASHで、その後、球児が会長を務めることになった漫才協会(当時の漫才協団)について二人で取材を受けているが、師匠のコロムビア・トップから言われるがままに加盟することになったといい、本当は「嫌な先輩が多いの知ってたから(「今はそういうことはない」そうだが)」入りたくなかった、と当時を振り返っている[4]。また、好児は「俺たち、昔は最初に解散するコンビっていわれてたのに、いちばん長くなっちゃった。」と近況に繋げて語った[4]
  • 後年になってからの活動フィールドは、漫才協会の浅草東洋館での定席興行が主であり、「漫才大会」が行われる浅草演芸ホールを除き、東都の落語寄席定席の興行に出演する機会は極めて少ない(落語協会・落語芸術協会のいずれにも加入していないため)。近年は高齢になった事もあり、漫才協会の定席興行でも出演する機会が限られており、2024年12月30日の「漫才大会」(浅草演芸ホール)に出演しているが、「ご挨拶」という顔見世であった(球児は約1年ぶりの出演だった[5])。
  • かつては名古屋の寄席である大須演芸場の正月初席定席興行の主任(トリ)を務めていた(1日から5日までの数日担当)。これは江戸・上方の落語家が自所属協会の初席定席興行の出演が優先されるためで、この期間の浅草東洋館が落語協会の初席として使用されていて、漫才協会の定席興行が行われないこともあり、招聘されていた。高齢になった事もあり、2023年を最後に大須へは出演していない。

テレビ(球児・好児)

アニメ

テレビ(青空球児)

テレビ(青空好児)

ラジオ

映画

コンビで出演

  • 漫才協会 THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々(2024年3月1日、KADOKAWA/ミックスゾーン/中京テレビ放送/ミラクルヴォイス[7]

青空球児

青空好児

舞台

脚注

  1. ^ a b c d e f 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、11頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  2. ^ “下地会 青空球児”. 日本経済新聞. (2015年6月9日). https://www.nikkei.com/article/DGKKZO87820520Y5A600C1BC8000/ 2022年5月28日閲覧。 
  3. ^ 2009年11月4日、お好み寄席 (NHKBSハイビジョン) 出演時に球児談。
  4. ^ a b “ナイツ、青空球児・好児が語る「漫才協会」の歴史と魅力…会長・球児が「入りたくなかった」と語ったワケ”. Smart FLASH. (2022年3月4日). https://smart-flash.jp/entame/174630/1/ 2022年5月28日閲覧。 
  5. ^ 金谷ヒデユキ”. X (formerly Twitter). 2024年12月30日閲覧。
  6. ^ a b 新・ど根性ガエル”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2023年2月23日閲覧。
  7. ^ 映画『漫才協会 THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々』”. 映画『漫才協会 THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々』. 2024年3月3日閲覧。
  8. ^ a b 新・ど根性ガエル ど根性夢枕”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2023年2月23日閲覧。

出典

関連項目

外部リンク


青空球児・好児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/14 02:48 UTC 版)

放課後キッチン」の記事における「青空球児・好児」の解説

花見余興のためにちかことサンディが青空球児・好児のモノマネダンナ出迎えた

※この「青空球児・好児」の解説は、「放課後キッチン」の解説の一部です。
「青空球児・好児」を含む「放課後キッチン」の記事については、「放課後キッチン」の概要を参照ください。

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