宮崎交通線
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宮崎交通線(みやざきこうつうせん)は、かつて宮崎県宮崎市の南宮崎駅から内海駅までを結んでいた、宮崎交通が運営していた鉄道路線の通称である。日南線の前身にあたる。
- ^ a b c 谷口 (1962) では20km、鉄道省 (1937) では20.1km。この間に改キロがあった可能性がある。経路図の距離は鉄道省 (1937)。
- ^ このためねじ式連結器の使用が戦後まで続いたが、1950年の国鉄貨車直通までに固定編成で運用されていた一部の客車の連結面間を除き、自動連結器化を完了している。
- ^ この旅客車は蓄電池動車とも、電車の一種とも呼ばれた。蓄電池による機関車としては、遊覧目的の西武山口線、火薬輸送のための路線での運用例があった。産業用では現在も工場や鉱山、土木工事現場等に蓄電池機関車の例がある。また、2010年代以降はJRグループでもJR東日本EV-E301系電車やJR九州BEC819系電車、Smart BESTといった非電化路線向け蓄電池車両の開発・導入が進んでいる。
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年4月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第20回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年11月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1915年3月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1915年7月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1918年4月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「宮崎軽便鉄道株式会社登記事項変更」『官報』1921年2月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 田尻 (2005) p16
- ^ 田尻 (2005) p16-19
- ^ 田尻 (2005) p18、p44
- ^ 当時の宮崎交通社長・岩切章太郎が自ら東京に赴いて運輸省当局と折衝、1949年4月に払い下げを取り付けた。田尻 (2005) p44
- ^ 谷口 (1962) は広瀬車輛に送られた時期から、キハ40013→チハ101を示唆している。40013は7月、他は12月。
- ^ 田尻 (2005) p18-19、p43-44
- ^ 田尻 (2005) p18
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「宮崎交通線」の続きの解説一覧
- 1 宮崎交通線とは
- 2 宮崎交通線の概要
- 3 運行形態
- 4 接続路線
- 5 参考文献
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