霜月騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 03:13 UTC 版)
霜月騒動(しもつきそうどう)とは、鎌倉時代後期の弘安8年11月17日(1285年12月14日)に鎌倉で起こった鎌倉幕府の政変。8代執権北条時宗の死後、元寇後の論功問題等への対応のため、9代執権北条貞時の外戚で有力御家人・安達泰盛が進めた改革・弘安徳政が行き詰まりを見せると、内管領・平頼綱ら反対派の勢力と対立が激化し、頼綱方の先制攻撃を受けて泰盛は討たれ、その一族郎党も尽く滅ぼされた。騒動はさらに関東、九州を中心に地方へ広がり幕府を二分する大規模な内乱となった。霜月の変、弘安合戦、安達泰盛の乱、秋田城介(あきたじょうのすけ)の乱ともいう。
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