電気局の誕生
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神戸市と神戸電気鉄道の間に締結されていた出願時の付帯条件の中に、「第1期線は2年以内、第2期線は4年以内に竣工すること」という一条があった。会社側もそれに従って路線延長を繰り返したが、開業後4年を経過した1914年(大正3年)に入っても路線の総延長が約12.2kmと、当初計画された路線網の半分にも満たず、計画全路線の完成が大幅に遅れることは明瞭であった。計画が遅れた理由としては内務省の軌道敷設基準が厳しくなって従来より広い道路幅員が必要になり、その分用地買収にかかる費用が増大したことが挙げられる。しかし、市民の間から計画路線の早期敷設を求める声が日増しに高まり、このまま民営で事業を進めていくのでは神戸市の発展速度に建設が追いつけないことが危惧されたため、公営事業として運営しようとの声が高まり、神戸市は1916年(大正5年)から神戸電気との間で買収交渉を開始、9か月に渡る交渉と滝川儀作神戸商業会議所会頭の調停によって買収案が妥結、監督官庁の許可を受けて1917年(大正6年)8月に神戸市は「神戸市電気局」を発足させ、神戸電気の軌道・電気供給業を引き継いだ。 電気局発足以後は第1期線のうち最後まで残っていた布引線の残部の延伸工事を開始、1919年(大正8年)4月に熊内1丁目 - 上筒井間が開業、翌1920年(大正9年)には阪神急行電鉄神戸線が開通して上筒井に大阪への新しいターミナルが誕生した。未着手の第2期線については出願後に神戸市内が大きく発展したことから計画の見直しを実施、市会の議決を経て出願、1920年5月に許可が下り、1921年(大正10年)8月の加納町3丁目 - 大倉山間の開通を皮切りに順調に延伸を続け、1925年(大正14年)3月に和田線の中之島 - 今出在家2丁目間が開通して、当初計画路線が完成するとともに市電末期まで続く「山手」「浜手」を結ぶ市電ネットワークが確立された。
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