電気・水道・鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:33 UTC 版)
浅野総一郎は、神奈川県足柄上郡神縄村落合に落合発電所を建設し、大正6年(1917年)6月に鶴見変電所を経て埋立地の工場に電力供給を開始した。大正9年(1920年)9月には発電量を増やした。さらに群馬県渋川町に関東水力電気の発電所を建設し昭和4年(1929年)に埋立地に電力供給を始めた。埋立地には水道が必要なので、浅野総一郎は大正8年(1919年)年1月に水道会社の設立を申請し、大正10年(1921年)1月に許可された。昭和2年(1927年)5月に橘樹水道を設立して給水を開始したが、多数の工場の需要に対しては能力不足で深刻な水不足になったので昭和12年(1937年)5月に橘樹水道を横浜市に売却し市営水道にして安定供給を図った。埋立地の工場と東海道本線をつなげる為に、大正13年(1924年)2月に鉄道免許を申請し4月に免許を得て、鶴見臨港鉄道を設立した。大正14年(1925年)7月に工事を開始し埋立地を浜川崎駅に接続して、大正15年(1926年)春に貨物運輸を始めた。さらに貨物輸送を増やし旅客輸送も始める為に、昭和3年(1928年)3月から昭和5年(1930年)10月まで工事して弁天橋から鶴見駅まで線路を延長した。この時に浅野総一郎が工事現場を視察した様子が伝わっている。「浅野さんは...銅像と同じ格好でね。シャッポかぶってストッキングはいて半スボンだよ。...お供は一人だけ。格好も洋服はヨレヨレだしストッキングもつぎはぎだらけなんだ。側近とか家族はいろいろ言うけれども、『いや、現場へ行くのにはこれでたくさんだ』って頑張って、そういう格好でステッキついて、達者なもんでしたよ。」
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