雨森氏
雨森氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/02 15:49 UTC 版)
雨森氏は北近江の戦国大名である京極氏、次いで浅井氏に仕えたという。江戸時代中期に対馬府中藩に仕えた儒学者雨森芳洲はその末裔。 清定の従弟にあたる雨森清良は、元亀元年(1570年)の姉川の戦いで討死。その弟清次が家督を継承し、浅井氏滅亡後は織田信長に降った阿閉貞征に属したが、天正10年(1582年)の山崎の戦いで阿閉氏が滅びた後は渡岸寺村に蟄居した。清次の子清広はその後松江藩に仕えた。 その他では雨森弥兵衛が知られる。天文4年(1535年)に多賀氏との戦いで海北善右衛門とともに戦死した武将の名に「雨弥」が見られる。その後も雨森弥兵衛は史料上に散見され、その弥兵衛は浅井久政の奏者であったようである。系図資料では広常―広商―高宗の3代が弥兵衛を称しており、赤尾氏・海北氏とともに賞されたのはこの高宗の事とされる。
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