隼人舞とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 芸能 > 舞踊 > 隼人舞の意味・解説 

はやと‐まい〔‐まひ〕【×人舞】

読み方:はやとまい

上代薩摩大隅(おおすみ)地方にいた隼人風俗歌舞。その祖先火照命(ほでりのみこと)のにおぼれるさまを写すという。平安時代には大嘗会(だいじょうえ)に舞われた。


隼人舞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 18:34 UTC 版)

隼人舞(はやとまい)は、皇室にゆかりのある宮中の儀式用の風俗歌舞大嘗祭などで南九州大隅国薩摩国に居住した隼人が演じた風俗歌舞で、令制では衛門府大同3年(808年)に兵部省へ移管)の隼人司で教習された。

概要

飛鳥・奈良時代、南九州薩摩大隅地域の人々は、当時の律令政府により擬製的な化外の民夷狄)として扱われ[1][2]、「隼人」と呼ばれた。

隼人は『日本書紀』巻第二十九によると、7世紀後半にあたる天武朝11年(682年)7月に「隼人、多に来て、方物(くにつもの)を貢れり。是の日に、大隅の隼人と阿多の隼人と、朝庭に相撲(すまいと)る。大隅の隼人勝ちぬ」とあり[3]、この時に正式に大和政権への服属の意志を示した。そして、6年交代で上京し、犬の鳴き声のような吠声(はいせい)で皇宮衛門の守護や行幸の護衛を行ったとされる(蛮族の声には悪霊退散の呪力があると信じられたため)。また竹笠・竹扇の造作などのほか、服属の意を示す歌舞の教習を行いつつ、隼人舞を節会に演じた、と言われる。

その後、隼人舞は宮廷芸能と化し、また番上隼人から 今来隼人の演じるものへと移行していった。『延喜式』によると、弾琴(ことひき)2人・吹笛(ふえふき)1人・撃百子(たたら)4人・拍手(てうち)2人・歌2人・舞2人の13人で演じられたらしい。

舞については、隼人の祖と伝えられる火照命(ほでりのみこと、あるいは火闌降命(ほのすそりのみこと)、海幸彦)が海水に溺れる様子を写したものであり、滑稽、物真似的な芸とする説のほか、戦闘歌舞(この場合は、ニュージーランドのハカのようなものだろう)とする説などもあるが、中世に絶えているので芸態は明らかでない。

令集解』職員令では、隼人という名は吠声によると解しているが、

「僕(あ)は今より以後(のち)、汝命の昼夜(ひるよる)の守護人(まもりびと)と為りて仕へ奉らむ」。故(かれ)、今に至まで、其の溺れし時の種々(くさぐさ)の態(わざ)、絶えず仕へ奉るなり[4]
「今より以後(ゆく先)汝の俳優(わざをぎ)の民たらむ。請ふ、施恩活(いけたま)へ」[5]
「吾已に過(あやま)てり。今より以往(ゆく先)は、吾(やつがれ)が子孫(産みの子)の八十連属(やそつづき)に、恒に汝(いましみこと)の俳人(わざひと)と為らむ。一(ある)に云はく、狗人といふ。請ふ、哀しびたまへ」[6]
「吾、身を汚すこと此(かく)の如し。永(ひたぶる)に汝の俳優者(わざをぎひと)たらむ」とまうす。乃ち足を挙げて踏行(ふ)みて、其の溺苦(くる)しびし状(かたち)を学ぶ。初め潮(しほ)、足に漬く時には、足占(あしうら=爪先立ち)をす。膝に至る時には足を挙ぐ。股(もも)に至る時には走り廻(めぐ)る。腰に至る時には腰を捫(もち)ふ。腋(わき)に至る時には手を胸に置く。頸(くび)に至る時には手を挙げて飄掌す(たひろかす=手のひらをひらひらさせる)。爾(それ)より今に及(いた)るまでに、曾(かつ)て廃絶(やむこと)無し。[7]

という隼人舞の起源説話があり、テンポの早い囃子をする人の意で「はやと」と名づけられたとも想定される[8]

古代歌舞のものと同じかどうかは不明だが、鹿児島県霧島市隼人町鹿児島神宮では旧暦8月15日の放生会には、隼人舞が行われている[9]

また、京田辺市大住の 月讀神社には、「隼人舞発祥之碑」があり、毎年10月14日の秋期例祭宵宮に奉納されている。大住隼人舞は、昭和50年(1975年12月19日に田辺町(現・京田辺市)指定無形民俗文化財第1号に指定された[10]

脚注

  1. ^ 永山 2009, pp. 40–41.
  2. ^ 宮崎県立西都原考古博物館 2016, p. 13.
  3. ^ 『日本書紀』天武天皇11年7月3日条
  4. ^ 『古事記』上巻、火遠理命条
  5. ^ 『日本書紀』巻第二、神代下、第十段、本伝
  6. ^ 『日本書紀』巻第二、神代下、第十段、第二の書
  7. ^ 『日本書紀』巻第二、神代下、第十段、第四の書
  8. ^ 隼人には、本居宣長のいう、古語に猛勇を「はやし」ということに由来するという説や、『新唐書』巻第二百二十・東夷日本伝にみえる「其の東海の嶼(しま)の中には、又邪古(またやこ)・波邪(はや)・多尼(たに)の三小王有り」の地名によるという 喜田貞吉の説もある。
  9. ^ 今 2018, pp. 73–77.
  10. ^ 京田辺市. “「月読神社と隼人舞」”. 京田辺市. 2019年9月20日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク


隼人舞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 05:50 UTC 版)

月讀神社 (京田辺市)」の記事における「隼人舞」の解説

九州南部大隅隼人奈良時代大住移住し、この大住隼人郷土民俗芸能の隼人舞をこの月讀神社奉納して舞伝えてきたという伝承から、隼人舞の発祥地とされている。10月14日例祭宵宮では、現在も隼人舞が奉納される京田辺市指定無形民俗文化財である)。 また、神社所在する大住」という地名九州の「大隅」に由来考えられる

※この「隼人舞」の解説は、「月讀神社 (京田辺市)」の解説の一部です。
「隼人舞」を含む「月讀神社 (京田辺市)」の記事については、「月讀神社 (京田辺市)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「隼人舞」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



隼人舞と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「隼人舞」の関連用語

隼人舞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



隼人舞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの隼人舞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの月讀神社 (京田辺市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS