開館後の沿革
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1900年(明治33年)6月、帝国京都博物館・帝国奈良博物館はそれぞれ京都帝室博物館・奈良帝室博物館と改称され、東京の帝国博物館総長の管轄下に置かれた。1924年(大正13年)には皇太子(後の昭和天皇)の成婚を記念して京都帝室博物館は京都市に移管され、恩賜京都博物館と改称した。太平洋戦争後の1947年(日本国憲法施行の年)、東京と奈良の帝室博物館は管轄が宮内省から文部省へ変わり、文化財保護委員会(文部省の外局)の附属機関となったが、恩賜京都博物館は引き続き京都市の所管下にあった。その後、京都の博物館についても国立に戻そうという機運が高まり、1947年4月に国立に移管され、名称は現館名の京都国立博物館となった。 国立移管時に、土地、建物、所蔵品などは市から国の所有に変更されたが、当時の館蔵品のうち、重要文化財および重要美術品であった7件については引き続き京都市の所有とされた。これに該当するのは以下の7件である。 (重要文化財)木造地蔵菩薩立像 (重要文化財)銅造不動明王立像 (重要文化財)多宝千仏石幢 - 後に国有となり、九州国立博物館に移管 (重要文化財)毛詩正義 (重要美術品)舞踊図小屏風 - 現・重要文化財 (重要美術品)宋刊纂図互註尚書 - 現・重要文化財 (重要美術品)宋刊新編翰苑新書後集 国立再移管以前の当館は、京都地方を中心とする社寺等からの寄託出品物の展示を主体としており、館蔵品購入のための予算を持たず、寄託や寄贈が行われるのを待つ状況であった。移管時の列品は寄託出品2,501件、館有列品831件で、他に参考品486件、図書7,287冊、写真5,510枚が所蔵されていた。これに対して、国立移管後は館蔵品購入のための独自予算が計上されるとともに、文化財保護委員会(のち文化庁)が購入して国有となった文化財の一部が管理換によって館蔵品に加わるシステムが整えられた。 博物館は、国立化当初は文化財保護委員会、1968年からは同年新設された文化庁の付属機関であった。中央省庁再編・独立行政法人制度の発足に伴い、2001年からは独立行政法人国立博物館、2007年からは独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館となり、今日に至る。 2020年2月27日から同年3月15日にかけて、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い臨時休館措置が取られた。 公式キャラクターとして、自館所蔵作品である尾形光琳の「竹虎図」をモチーフにした「トラりん(虎形琳ノ丞)」が存在する。 京都市内にある国公立の博物館・美術館4館で構成する「京都ミュージアムズ・フォー」の1つである。
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