開国以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:19 UTC 版)
江戸時代の18世紀初頭までには、肉筆の戯画が商品として流通するようになった。やがて、町人文化の興隆と木版による印刷技術の発達にともない、挿絵が添えられた娯楽読み物の書籍・黄表紙や、1枚もののイラストレーション商品・浮世絵が19世紀までに成立した。浮世絵には戯画的な要素を含むものがあり、それらは上記『鳥獣戯画』作者と擬せられる鳥羽僧正の名にちなんで「鳥羽絵」(主に手足の細長いデフォルメされた人物を描くもの)、あるいは「大津絵」「狂画」「かち絵」「ざれ絵」などと呼称された。これらの呼称は近代に入っても引き続き使われた。 黄表紙本作者の多くは、絵と文をひとりで手掛けていた。恋川春町の『金々先生栄花夢』では、人物が夢を見ていることを示すフキダシが用いられている。 浮世絵師として知られる葛飾北斎のスケッチ集・『北斎漫画』は「漫画」という語を含む作品集としてことに著名である(ただし、ここでの「漫画」は「漫然と描かれた絵」を意味して用いられており、現代的な意味とは異なる)。同作では鼻息を表す線など、現代における「漫符」に相当する技法がみられる。なお、『北斎漫画』は葛飾派の「絵手本」、すなわち一種の教本として発表されたもので、一般読者の娯楽を第一としたものではなかった。 この時期には風刺を意図した作品も試みられており、19世紀前半の田中訥言『異形賀茂祭図巻』、19世紀中盤の落合芳幾『豊饒御蔭参之図』のように、見立絵、判じ物の形式を借りた世相風刺・政府批判の浮世絵が制作されている。ただし、画家が風刺を意図した絵を役人に誉められて喜んだという話もあるなど、あくまで娯楽とみなされ、メディアとして体制に脅威をもたらすような性格は持たなかった。
※この「開国以前」の解説は、「日本の漫画の歴史」の解説の一部です。
「開国以前」を含む「日本の漫画の歴史」の記事については、「日本の漫画の歴史」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から開国以前を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から開国以前 を検索
- 開国以前のページへのリンク