長崎での事業とは? わかりやすく解説

長崎での事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 10:07 UTC 版)

古賀春一」の記事における「長崎での事業」の解説

古賀春一1882年明治15年11月17日佐賀県松尾左衛門三男として生まれた少年時代から「神童」とうたわれ中学校を出ると上京して東京高等商業学校で学ぶ。そこで同じく上京していた佐賀古賀善兵衛長女フサ知り合い善兵衛にも気に入られて、1901年明治34年)に古賀家婿養子となった古賀家伊丹家・深川とともに江戸時代より続く佐賀富商で、江戸期には呉服商として御用商人勤めていた。明治になってから当主善兵衛(善平)は両替商開店、さらに1885年明治18年1月には古賀銀行設立し頭取となった春一古賀家入った当時はこの銀行業以外にも炭鉱業なども手がけていたが、善兵衛はこれらの古賀家事業の中から長崎県松島炭鉱春一任せた1906年明治39年)のことである。 松島では江戸時代より採炭が行われていたが、明治初期にはほとんど廃坑となっていた。1885年になって三菱合資会社松島調査し翌年より採掘始めるものの、出水量が多く2年後には廃棄した古賀家はこの松島炭鉱取得し1905年明治38年第一坑、1910年明治43年第二坑、1912年明治45年第三坑と開発していった。こうした中で、石炭一大市場である長崎進出をうかがう三井財閥の目に留まり松島炭鉱三井資本入れて開発することとなった提携に伴い1913年大正2年1月三井鉱山傍系会社として松島炭鉱株式会社(現・三井松島産業)が資本金200万円発足し古賀春一同社代表取締役会長となった炭鉱同社引き継がれその後採掘進み1916年大正5年)には第四坑も開発された。 長崎ではほかに長崎電灯経営した同社1889年明治22年)に設立され長崎市電気事業者で、設立時より長崎十八銀行関係者とともに古賀家関与していた。長く十八銀行関係者経営していたが、1912年7月古賀が代わって長崎電灯社長に就任。さらに株式買収して古賀グループ株式過半数押え経営掌握した長崎電灯乗り込んだ古賀積極経営供給拡大取り組み不振であった同社経営立て直した長崎電灯1914年大正3年)にガス会社九州瓦斯合併して長崎電気瓦斯となるが、1916年大正5年5月福岡市九州電灯鉄道合併された。合併長崎電気瓦斯社長から九州電灯鉄道取締役転じその後1920年大正9年5月までこれを務めている。

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