長塚古墳とは? わかりやすく解説

ながつか‐こふん【長塚古墳】


長塚古墳 (岐阜県)


長塚古墳


長塚古墳

史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  長七谷地貝塚  長久手古戦場  長塚古墳  長塚古墳  長岡宮跡  長崎台場跡  長柄桜山古墳群

長塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 06:02 UTC 版)

長塚古墳
長塚古墳
(2018年(平成30年)4月)
所在地 岐阜県可児市中恵土中野1990-1
位置 北緯35度25分51.3秒 東経137度4分6.9秒 / 北緯35.430917度 東経137.068583度 / 35.430917; 137.068583
形状 前方後円墳
規模 全長72m、高さ約7m
出土品 石釧、管玉琥珀玉、ガラス玉
築造時期 4世紀後半
被葬者 不明
史跡 昭和31年(1956年)国の史跡に指定
テンプレートを表示

長塚古墳(ながつかこふん)とは、岐阜県可児市にある前方後円墳古墳時代中期(5世紀前半)築造されたと考えられている。

昭和31年(1956年)国の史跡に指定され、平成15年(2003年)に周濠の一部が追加指定されている。

概要

本古墳は、可児盆地に形成された可児古墳群内の一支群である前波古墳群に属する。この古墳群は15基を擁する。本古墳は隣接する野中古墳(前方後円墳、推定全長58メートル)、西寺山古墳(前方後方墳、現存全長41メートル、市指定史跡)とともに「前波の三ツ塚」と俗称されている。

1982年(昭和57年)、翌年、1986年(昭和61年)の年度に測量調査が行われた。1995年(平成7年)度から1998年(平成10年)度にかけての発掘調査では、墳丘周辺に基壇や造り出しは認められず、外表施設としての葺石円筒埴輪ももたないことが確認された。

埋葬施設は後円部と前方部に一つずつ確認され、後円部の埋葬施設からは木棺副葬品を運び入れたと考えられる墓道や、木棺を覆ったとみられる白い粘郭が発見された。前方部からは捩文鏡やガラス玉などが発見された。なお、出土した遺物可児郷土歴史館にて展示公開されている。

形状・規模

  • 墳形:二段築成で葺き石が認められているが、埴輪は確認されていない。前方後円墳、周濠がめぐっていたと推定され、後円部の南東に幅5メートルあまりの外堤が残存している。周濠幅25メートルあまりと考えられている。
  • 規模
    • 全長 81メートル
    • 後円部
      • 直径 46メートル
      • 高さ 約8.3メートル
    • 前方部
      • 最大幅 25メートル
      • 高さ 5.9メートル
      • くびれ部幅 26メートル。
  • 木棺直葬

所在地

  • 岐阜県可児市中恵土野中1990-1

交通アクセス

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長塚古墳」の関連用語

長塚古墳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長塚古墳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
文化庁文化庁
Copyright © 2025 The Agency for Cultural Affairs. All rights reserved.
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長塚古墳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS