郵便制度の発足
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日本の近代郵便制度の創設者である前島密は、明治維新政府で駅逓頭の職にあり、郵便事業の創業準備を行っていた。そのため近代的制度のひとつである郵便料金前納を示すための切手を発行する必要があった。開業時に発行されたのが48文、100文、200文、500文の計4種の切手であった。 切手の印刷原版は、銅版彫刻技術者であった松田緑山(敦朝)が彫刻し、彼の工房であった玄々堂が人力で切手の製造を請け負っていた。印刷は旧暦明治3年11月28日以降に開始され、開業までに86万枚が製造された。 原版を複版する近代的印刷技術が当時の日本にはなかったため、1シート40枚分の実用版を手で彫る殊に由来するがこの竜切手は手作業により額面誤印刷腕落ちおよび竜の顔の斑点、外縁の太細唐草文様のエラーもありバラエティーに富んだ切手となった。そして、正確には手作業によるエッチングを行っていた。このような製造方法は1876年に凸版印刷の切手が登場するまで続けられた。この製法により作られた切手を、切手収集家は「手彫切手」と呼称している。そのため、手作業ゆえに40枚それぞれに僅かな差異が存在しており、竜の爪の彫り忘れなどもあるため、バラバラにしてもシートのどの位置にあった切手かが判る。このことにより個々の切手を集めて元の板を再構築するプレーティングの対象となっている。 また竜切手は手彫切手で唯一の2色刷りであり、周囲の竜のモチーフと額面表示が別々に印刷されていた。そのため500文切手に逆刷のエラーが存在していることが知られており、1973年にアメリカ合衆国で使用済が発見され、オークションにかけられた。このエラー切手は日本切手のカタログ評価額では最高の3500万円が付けられている。 なお、近代郵便が始まった日本では、書状に切手を貼付する方法以外に書状を入れて運ぶ箱に切手を貼付する方法もあった。1871年(明治4年)の大久保利通の書状箱には切手が貼付されており現存する。
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