郡中議定の取り決め内容とは? わかりやすく解説

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郡中議定の取り決め内容

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 13:49 UTC 版)

郡中議定」の記事における「郡中議定の取り決め内容」の解説

村山郡最初に郡中議定結ばれたのは、安永7年1778年2月のことで、その目的は、仙台鋳造され粗悪な銭が郡内流入することを防止するめだったその後も、天明3(1783年)から同6年1786年)にかけての「天明の飢饉」の際に、食料確保するために米穀の郡外への移出禁止酒造禁止口留番所設置などを定めた郡中議定繰り返し制定された。食料不足問題起きれば一揆発生する恐れがあり、郡中惣代大庄屋はそれを未然に防ぐことを考えて議定定めて社会不安対処した天明3年には、村山地方尾花沢長瀞代官所管轄下の々は飢饉により約7割の住民食糧確保できないほどだったが、幕府同年8月安石代禁止廻米強化命じた郡内名主大庄屋たちは、食糧不足とそれによる社会不穏生じることを恐れて郡中議定を結び、訴願闘争繰りかえした。このころ小規模ながら貧農層による米穀商酒屋打ちこわし複数回あり、名主層はこれらの動き危機感抱いていた。訴願闘争は、廻米強化によって米価高騰することで、生活に影響を受ける農民たちが同様の騒動起こすことを恐れた惣代名主たちによる飢民救済の意味合い持っていた。 近世後期村山地方においては石代納要求めぐって闘争頻発する。その転機となったのが天明年間で、闘争惣代名主主体となったため合法的形態をとることが多かったその手段が合法的であるゆえに闘争持続化が可能になり、結果的に幕府収奪強化策後退させることとなった宮崎勝美「天明羽州村山郡幕領石代納闘争惣代名主制」『尾藤正英論集』)。 18世紀後半では基本的に凶作時の食糧確保目的として議定結ばれたが、19世紀入ってからは日雇い賃金抑制紅花の種の郡外移出禁止などの項目が加わるようになった。「日雇い賃金抑制」は雇用者である富裕な百姓層の利益のため、「紅花の種の郡外移出禁止」は紅花栽培全国各地拡大することで紅花価格下落することを防ごうという、村山地方々の利益を守ることを目的決められた。 そして幕末には、万延元年1860年10月慶応2年1866年)に、総合的な内容をもつ郡中議定結ばれた

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