運行再開まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 02:13 UTC 版)
1945年8月、イギリスと中華民国によって広九直通列車の運行は再開された。しかし1949年10月1日に中華人民共和国が成立し、同年10月14日に南下した人民解放軍が広州と東莞を占領したため、広九直通列車の運行は再び停止された。その後香港政庁は広九直通列車運行再開に向けて、中国政府と数回にわたり交渉を行った。中国政府は広九直通列車運行再開について前向きで、国務院総理である周恩来も1950年代初めに広九直通列車運行再開を提案したが、様々な要因によって中英間で合意に至らなかった。 文化大革命の後、中国が1970年代後半から改革開放政策を開始した。1979年1月初め、中国政府は香港政庁の関係者と接触し、広九直通列車運行再開について協議した。香港側の九広鉄路局と中国側の広州鉄路局の間でもこの問題について取り上げられた。広州鉄路局はこの問題を中華人民共和国鉄道部に上申し、さらに1月25日には鉄道部から国務院に対して上申が行われた。これに対して国務院は「広九直通列車運行再開に向けて積極的に準備し、できるだけ早期の運行再開のために努力する」と鄧小平からの直接指示が下された。 この指示を受け、広州鉄路局は運行再開に向けて準備を開始し、広州駅ターミナルビルの大規模な建て替えを行われ、出入国管理のための施設が建設された。これに並び3月16日に試運転が行われ、3月20日には九広鉄路局と広州鉄路局の代表の間で協議が行われた。同じ頃、香港総督クロフォード・マレー・マクレホースは北京を訪問した。マクレホースは香港に戻る際、広九直通列車の第1列車に乗ることを希望したため、広九直通列車の運行再開日は4月4日に決定した。そして4月4日当日、広州駅で記念式典が挙行された。式典には広東省長と広州市長、香港総督マクレホースとその夫人のほか、香港の財界関係者が出席した。午前8時20分、鉄道部副部長の耿振林が第1列車である91次列車のテープカットを行い、午前8時半、30年の中断期間を経て広九直通列車が広州を出発した。91次列車は東風3型0149号ディーゼル機関車が牽引した中国国鉄24系客車(中国語版)で運行され、列車が香港に入った後、羅湖駅から水先案内人として香港側の機関士が乗務した。91次列車は、香港内を約55分間走行し、広州出発から約3時間後に香港九龍にある九龍駅(紅磡駅)に到着した。
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