退位後の処遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 05:25 UTC 版)
同一王朝内で退位が比較的平穏裏に行われた場合、退位した元君主やその親族は、旧来と同等の礼遇をもって接することが約されることが多い。東アジアでは太上皇、太上天皇といった尊号が奉られることが通常で、旧臣とのつながりや君主との父子関係を背景に権力を保持することもある。同一王朝内の退位でもクーデター的に退位に追い込まれた場合は、幽閉されたり尊号が奉られない場合もあり、死後に庶人扱いを受けることもある。簒奪を狙う権臣によって退位させられた場合は殺害されることもある。またローマ帝国の皇帝は五体満足であることが要件であったため、復位することがないようコンスタンティノス6世のように身体に損傷を与えられることもあった。 王朝交代を伴う退位では、魏が後漢に取って代わった際に後漢の献帝が山陽公として貴族となった例など、旧王朝の君主が新王朝の貴族となった例も複数あるが、反乱勢力に推戴されることを恐れて旧皇族や旧王族ともども皆殺しにされる例も少なくない(朝鮮の高麗王朝の王家一族、ロシアのロマノフ王朝のニコライ2世一家、など)。 スペイン王国、ヨルダン・ハシェミット王国、ブータン王国、ベルギー王国は、名誉的に退位前の国王の称号を使用し続けている。また、オランダ王国では国王即位前の称号(プリンス、プリンセス)を使用している。イギリス、カタール国では新たな称号が付与されている(ウィンザー公爵、国父)。 韓国併合ニ関スル条約(1910年) 韓国皇帝及び韓国皇族に相当な尊称、威厳及び名誉を享有させること等が約され、前韓国皇帝ヲ冊シテ王ト為シ皇太子及将来ノ世嗣、太皇帝及各其儷匹ノ称呼ヲ定メ並ニ礼遇ノ件により、前韓国皇帝に対して「王」の身分が与えられる等した(王公族制度)。皇族を除く貴族制度を否定した日本国憲法施行により1947年に身位喪失。 清室優待条件(1912年) 「大清皇帝」の尊号を受け、外国君主と同等の待遇を受けることとなった。後に反故にされた。 エドワード8世の退位(1936年) 「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国ならびに海外自治領の国王、インド皇帝」を自発的に退位した。退位後は「ウィンザー公爵」の爵位を受けた。 天皇の退位等に関する皇室典範特例法(2017年) 第125代天皇明仁の退位について規定した法律。退位した天皇に対し、「上皇」の称号を付した。
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