退位を認めない皇室典範
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 15:14 UTC 版)
「明仁から徳仁への皇位継承」の記事における「退位を認めない皇室典範」の解説
ところが、弁護士の田上嘉一によれば、「王政復古は、神武天皇の時代、すなわち譲位が慣例化する前の時代に戻ろうとして行われたので、明治時代には、譲位は認められなかった」という。田上は、このため、「1889年に発布された皇室典範第10条には、『天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク』と記載され、天皇の即位の要件は、前帝が崩御していることと定められたのだ」としている。皇室典範草案の作成に携わった伊藤博文も、その著書で、他人の意思により強制的に天皇が退位させられた挙げ句、南北朝の動乱を招いた過去があるので、皇室典範では前天皇の崩御時以外の天皇の即位は認めないことにしたと述べている。 現在使われている皇室典範が定められた際にも、当時の金森徳次郎国務大臣(憲法担当)が帝国議会で生前退位を否定する答弁を行い、現在の皇室典範第4条では、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」と決められるに至った。すなわち、前帝の崩御のみが、引き続き皇位継承の要件となったのである。
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